ご当地グルメうまいもの情報/B級グルメから調味料まで

うまいものを食べると、なぜか幸せになります。 うまいものが大好きな人のために、ご当地グルメや特産品、人気の食品や話題の商品など、 うまい食べ物の情報を紹介するブログです。

B級グルメ

江戸後期に「万宝料理秘密箱」という料理本があります。
卵の部は通称「卵百珍」、103種類の卵料理が載っています。
この中に、驚きの卵料理があります。
「黄味返し卵」―ゆで卵にすると、白身と黄身が逆になっている、つまり、黄味の中に白味がある卵なんです!

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「黄味返し卵」は幻の料理といわれています。
めったにお目にかかれない料理、というわけです。

本に書かれた作り方を見ると、

1)新しい卵を糠味噌へ3日ほど浸けておく。
2)針で頭に穴をあけ、茹でる。

これだけです。

しかしこれでは絶対にできません。幻の卵料理といわれる所以です。

卵の黄味と白味の分量は、1:2になっています。
「黄身返し卵」を作るには、黄味が白味より多くならなければならないんだそうです。

だったら、本には嘘が書かれていたのか。
いえ、江戸時代にはできたんです。現代だからできなんです。

なぜ?

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

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江戸時代も中ごろの宝暦年間(1751~1763)にもなると、食は上方ではなく江戸、といわれるほど、食文化が発展したそうです。

現代のどこぞの国と同じように、レシピ本が続々と出版されるようになりました。

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天明2年、「豆腐百珍」という本が刊行されました。なんと、豆腐料理が100種類。
これが売れたもんだから『百珍』ものが次々と出ました。
「大根百珍」、「甘藷百珍」etc。

それらの中で、究極のグルメ本が、「料理珍味集」(作者不明)だそうです。

なにせ、紙まで食べちゃお、というものです。

紙で作る料理名を、”目くり餅”というんだそうです。
和紙は、コウゾの皮をたたいて伸ばし、もち米を加えて作るんだそうで、もち米が入ってるんだから、食えないわけがない、という乱暴な料理です。

江戸っ子は、食えるものなら何でも食べます、ただしコタツはいけません、あれは当たるものから。
落語ネタです。失礼しました。

”目くり餅”の材料は浮世絵などに使われた奉書紙というものだそうで、紙は貴重だったので使い回ししたわけです。

作り方:
奉書紙を3日間水に浸ける。
線維が溶けやすくなり、紙についた墨なども流れ落ちる。
紙をちぎって細かくし、葛を混ぜてこね、餅にする。
出来上がった団子を味噌汁で煮る、
んだそうです。

再現したものをスタジオでMCさんが試食しましたが、一口でギブアップでした。

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

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『謎解き 江戸のすすめ』から、江戸グルメの続き。

江戸で人気だったスイーツに、”みたらし団子”もあります。
おそらく、いま食べられているものとそんなに変わらないと思います。

みたらし団子は、京で人々の健康を祈って食べられていたものだそうです。
五体(頭、両手、両足)を表し、1串に5個団子が付いていて、5文(約95円)でした。

京のB級グルメがお江戸に来ると、5つから4つになったそうです。
理由はというと、江戸後期になると、4文銭ができ、それが貨幣の中心となり、
5文だとおつりが面倒、
そこで4文にして、団子も4つにしたということだそうです。

現代人と違い、5個のまま値段だけ下げようという発想は、江戸人にはなかったみたいです。

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ここからは番組を離れて、団子のウンチク。(学登社、『「食」の文化誌』より)

団子のもとは、奈良時代に伝わった糖菓子の一つで、団喜(米粉を丸め、茹でて、甘葛を塗ったもの)とされているそうです。
丸い形が基本のようですが、必ずしも丸とは限らなかったみたいです。

近世になると、団子の名物専門店が各地にでき、その中でも著名だったのが、「御手洗(みたらし)団子」でした。
京都下鴨神社の水無月祓えのとき、境内で売られていて、山城の名産、とものの本にあるそうです。

社家の人がお公家さんに献じ、また水無月祓えの参詣者のために設営された茶店の名物だったようです。
当時のもののは、残された狂歌などから類推すると、どうも味噌ダレだったようです。

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再び、ふたたびBSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』から。

お江戸のスイーツの中でも大ヒットしたのが、大福だそうです。
大福は大好きで、漉し餡よりも潰し餡の方が好きなんですが、好みにはそれぞれ言い分があるでしょうからこれだけにしときます。

明和8年といいますから、西暦では1771年冬のこと。
小石川にお玉という女性がいました。

この女性にひらめきが降りてきました。
人気の餅の中に甘い餡を入れたら、売れるに違いない。
それまで塩餡やうぐいす餡はあったのですが、甘い餡はなかったそうです。

お玉さんはこれに大福餅という縁起のいい名前を付け、かごの中に火鉢を入れ、アツアツに焼いて売りました。
これが寒いお江戸で大ヒット! 大福の大ブームになったそうです。

註1.お江戸が今より寒かったのは間違いありません。
ましてや、着るものも粗末で、毛糸の靴下やブーツなんてものもありませんから、かなりきつかったと思います。

註2.今は技術がよくなって、大福の餅は柔らかさを長らく維持してますが、昔は時間がたつと固くなったものです。
硬くなった大福を、母親がよく網で焼いてくれたものですが、
お焦げがつくくらい焼くと、餅がパリパリになって、それはそれで、またうまいものでした…
(こんな話、同年代の人と飲み屋でやったら、盛り上がるだろうなぁ。)

ヒットの理由はもう一つあるそうです。
大福は、餅は炭水化物、餡の小豆に含まれるビタミンB1と相まって、即効性の高いカロリー源なんだそうです。
寒い江戸に、焼いた大福はぴったりのスイーツだった訳です。
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ふたたび「BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』から。

番組によると、江戸はスイーツ天国、しかも女性より男性の方が甘いもの好きだった、とのことです。

肉体労働者が圧倒的に多かったので、仕事の合間に歩きながらでも栄養補給する必要があったからではないか、という理由です。

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8代将軍の吉宗は、サトウキビの栽培を奨励したんだそうです。
それまでは外国からの輸入に頼っていたのですが、このことによって国産砂糖の生産量が増加、砂糖が入手しやすくしなったこととも関係しています。

餅菓子は神様が宿る特別な食べ物として、古くから食べられていたんだそうですが、
江戸時代になると年中行事などにも餅菓子を作って祝うことが一般的になったそうです。

それに合わせてさまざまな餅菓子が作られるようになり、名物菓子も増えました。

今でもよく食べるさくら餅は、そんな一つだそうです。
あるお寺が、落ち葉を再利用できないかと考え、塩漬けにした桜の葉で桜色のあんこ餅を包んだのが始まりということです。

さくら餅ですが、包んである葉っぱは取って、餅だけ食べる人がいるんですが、もったいない話です。
あれは葉っぱごと一緒に食べたほうがおいしいんです。
塩味の葉っぱが餡の甘さを引き立たせてくれるんで、それまで餅だけ食べていた知人に教えたら、おいしさに驚いて、以来、ずーっと葉っぱと一緒に食べてます。(これ、ホントの話。)

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TVのニュースで、今年はマツタケの当たり年で、お値段も例年の3割安、何て言ってましたが、
毎週欠かさず見ている、BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』で、ちょっと前、江戸のグルメ特集があり、マツタケの話もやってました。

面白かったんで紹介すると、
「匂いマツタケ、味シメジ」という言葉があり、お江戸ではマツタケより、シメジやシイタケのほうが好まれていたんだそうです。

ところは実は、マツタケなんかよりシメジの方がうまいに決まってらぁ、という気風の良さというより、
薫り高い新鮮なマツタケは、食いたくても食えなかったという、江戸っ子の負けん気と痩せ我慢から出た言葉かも知れないとのことです。

それが証拠に、
将軍様は、上野の国太田(現群馬県太田市)にマツタケ用の直轄林を持っていて、
寛永6年(1629年)頃から、上納松茸として、
約100kmの距離を、香りが飛ばないうちにと、大急ぎで江戸城まで運ばせたそうなんです。
なんでも、午前9時ごろ出て、翌朝の5時には江戸城に届いた、という記録も残っているんだそうで…

約20時間ということは、時速5kで走り抜けたわけです。
1人で運んだんじゃないでしょうが、山り谷あり、平坦な道ばかりのはずがないんで、スゴィ!
(オリンピックのトップマラソン選手は時速20k近くで走っているんですが、ほとんど平坦な場所ですから、単純比較はやめましょう。)

要するに、マツタケは将軍様くらいにしか口にできなかった高級食材だった、ということです。

ちなみに、群馬県太田市は、B級グルメ「上州太田焼きそば」で有名なとこです。
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山形県東根市の六田地区に『六田麩街道』というのがあるんだそうです。
街道沿いにお麩屋さんが5軒もあり、全国的にも珍しいとのことです。
確かに、街道を行くとお麩屋さんが5軒というのは、めったに見れるものではありません。

中には創業150年なんて老舗もあるそうです。

何とか街道というのは、全国に結構ありそうです。
有名な滋賀県の「鯖街道」、最近知ったのですが、長崎街道を別名「砂糖街道(シュガーロード)」というんだそうです。
ほかにどんなものがあるか、いつか調べてみようと思っています。

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六田麩は、とにかく腰が強く、煮ても崩れないことが特徴です。
見た目はフランスパン、スーパーで売っているようなものとは違い、
食感もしかりしていて、地元では味噌汁、肉じゃが、すき焼きと、どんな料理にも入れます。
ついには麩の懐石料理を作る店まで出しちゃった人がいます。

これだけ全国に誇れるご当地グルメを、もっと知ってもらいたいということです。
そして町おこし、そうなれば立派なB級グルメです。

麩は、生地を引き延ばしながら、2m近い鉄の棒に巻き付けて焼きます。
その時の力加減、厚さを均一にすること、これによって麩の味が決まるんだそうです。
そのうえ、季節や湿度にも注意を払います。

多分、作り方はほかの地方でもそんなに変わらないと思いますが、なんといっても六田麩は生地が違います。
原料のグルテンを、めちゃ多く入れます。
それが六田麩のコシの強さを生み出しています。

*BS朝日「日本食紀行」より

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富良野・美瑛のカレー街道から、
ご当地自慢のカレーをいくつか紹介します。

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南富良野町は映画「ぽっぽや」のロケ地として有名ですが、
ここのご当地グルメは、エゾカツカレー。
エゾシカのもも肉のカツとカレーのコラボで、増えすぎたエゾシカで町おこしを狙った一石二鳥のB級グルメです。
エゾシカの肉は高タンパク低カロリー、まろやかで上品な味ですが、
そこに地元で採れた野菜を添えて、ヘルシーなカレーのできあがりです。
もちろん、女性にも大人気です。

占冠村(シムカップムラ)のご当地グルメカレーは、
ギョウジャニンニクという山菜をパウダーにしてライスと炒め、
カレーを合わせた、これまたヘルシーなカレー。
占冠村は山菜の宝庫、森の恵みがたっぷりいただける、うれし~いB級グルメです。

泥色の露天風呂で有名な、上富良野の十勝岳温泉。
ここで味わえるご当地グルメは、ポークカレー。
噛み応えと柔らかさのバランスが絶妙な ”上富良野ポーク” と、
ミミガー(豚の耳)を加え、コラーゲンがたっぷり含まれたルー、
そしてしゃぶしゃぶ肉とハーブ入りのソーセージをトッピングした、
女性にはうれしいカレーです。 

*テレ朝系「学びEye」より


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宮内省に収められ、谷崎純一郎などがわざわざ取り寄せ、
明治から昭和の中ごろまで一部の人にしか手に入らなかった幻のうどん、
江戸時代は「殿様のうどん」と呼ばれていました。

それが稲庭うどんです。

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讃岐地方や吉田うどんで有名な富士吉田市は、米作には適さない地域でした。
ところが稲庭うどんで有名な秋田湯沢市は米所。
そこに極上のうどんが生まれました。

実は、秋田の南部地方では、長い冬の副業としてうどん作りが行われていたんだそうです。

稲庭うどんは手延べ製法、麺を棒でひっぱって少しづつ延ばし、乾燥させる、ゆでると半透明の見た目にもきれいなうどんになりす。

上品な味わい、そのうえ保存がきく。
そこに目を付けたのが秋田藩3代目藩主の佐竹義処(ヨシツグ)。
うどん作りを藩が独占し、技術を門外不出にしました。
ここから「殿様のうどん」と呼ばれるようになりました。

製造者が限られるので、希少価値はますます上がり、明治の代になっても庶民の手に届くことはありませんでした。

ところが昭和40年代、もともと出稼ぎの多い地方だったうえに、若者が町を離れ、町は寂れる一方。
そこで一大決心し、技術を開放することにしました。
その後、稲庭うどんは秋田のうどんへと発展し、若い技術者も多く育ちました。

おかげで今では、誰もが口にすることができるようになりました。

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「讃岐うどん」や「稲庭うどん」など、うまいうどんの専門ショップ。
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NHKBSの『新日本風土記』の再放送で、「うどん」という題の付いた番組がありました。
紀行なのに”うどん”ですが、さすがNHKさん、見ごたえがあって、うどんの歴史やいわれなど紹介しながら、人々とうどんのつながりを丹念に追っていき、60分があっという間に過ぎてしまいました。

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今は讃岐うどんが大ブームですが、なんと香川県には800以上のうどん店があり、年間一人当たり300玉以上を消費しているようで、さすが「うどん県/香川」です。

そういえば民放の番組で、「うどん大使」の要 潤さんが、うどんの食べ比べをやって見事讃岐うどんを食べ当てましたから、かなり食べなれているということでしょう、大したものです。

うどんは当然ご当地グルメなんですが、B級グルメには入るのかどうか、
焼きそばはB級グルメなんだから、やっぱ入るんでしょうね。

山梨の吉田うどん、三重の伊勢うどん、秋田の稲庭うどんなど、各地にはそれぞれ特徴のあるうどんがあって、食べ方もいろいろですから、B-1グランプリに出てないのか、去年はなかったみたいですが…

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