ご当地グルメうまいもの情報/B級グルメから調味料まで

うまいものを食べると、なぜか幸せになります。 うまいものが大好きな人のために、ご当地グルメや特産品、人気の食品や話題の商品など、 うまい食べ物の情報を紹介するブログです。

ご当地グルメ

出雲は縁結びの国として、若い女性に大人気ですが、日本神話発祥の地でもあるわけです。
なにせ10月には日本中の神様が集まってきます。

出雲には、「出雲招福チラシ」というありがたい駅弁があります。

駅弁は地元の特産品が使われていることが多いので、ご当地グルメであることは確かなんでしょうが、B級グルメと言えるのか、富山には1万円もする駅弁があるんだそうで、これはもうA級グルメ。
まァ、少なくとも千円、2千円のものは、B級グルメに分類しておきましょう。

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「出雲招福チラシ」には、黒豆、岩のり、百合の花などが入っています。
岩のりは磯の香りがして、出雲秘伝の煮物にして、昔から上品なものとして大切にされてきたそうです。

この招福チラシには、さすが神話の国、神様から生まれたと言われている食材がちりばめられています。

『古事記』に食べ物の神様から生まれたと書かれている五穀、稲、あわ、麦、大豆、小豆の5つですが、それらおめでたい食材で作られたありがたいお弁当です。

出雲秘伝の煮物には、秘伝の調味料が使われているんですが、
秘伝の調味料とは「地伝酒」のこと。

とはいっても、地伝酒が他の地方にもごろごろしているわけではなく、出雲だけの特産の調味料として伝わってきています。

お酒とみりんの中間みたいなものだそうで、ソバ汁に混ぜると、醤油の角が取れてまろやかになり、アゴ野焼きという特産品を作るには欠かせないんだそうです。
ちなみにアゴ野焼きはトビウオのすり身で作るカマボコのことだそうです。

地元の米田酒造というところが、もち米と米麹を原材料に、水量を少なくし濃厚な作りに仕上げます。
特徴的なのは、最後に木の灰を加えること。灰がお酒の酸味を中和してくれるので、独特の風味に出来上がるんだそうです。

山陰本線の松江駅で一番人気は、みそ玉丼。
TV朝日の『学び Eye』で紹介されていましたが、NHKの『新日本風土記』でも取り上げられました。
東京のデパートで開かれる駅弁大会では、ファン投票で一位になったこともあるそうです。

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なんといっても特徴は地元の素材にこだわっていること。

肉は当然ながら島根牛、地元の老舗が作った味噌とこれまた地元産の酒で味がしっかりとしみこむまで煮込むと、冷めてもおいしい肉になります。
そこにトロットロの半熟卵をのせていただいたら、もう箸が止まらくなるそうです。
(悔しいけど、まだ食べてなぁ~イ!

味噌を使うのは肉を柔らく保つため。
醤油を使うと、硬くなるんだそうです。
そしてまろやかな味噌味は、柔らかい甘味を引出します。

お弁当屋さんの社長は地元のおいしい味噌を求めて、奥出雲の老舗の醤油屋さんにたどり着きます。

奥出雲は、冷たくてきれいな水の豊富な米どころ。
そこで150年以上続く醤油醸造店が、歴史の塗り込められた木造の工場と蔵たるで、
米麹を多く使い、天然醸造の寒仕込みで、人手をかけずに、自然に委ねながらゆっくりと特製の味噌を作り出します。

その味噌と、これも地元産のお酒を使い、水を加えず煮込みます。
こうして、誰もが納得のご当地グルメ、人気No,1駅弁、みそ玉丼が出来上がります。


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辛味の中にほんのり薫る豆の旨み、風味の良さで愛用者が多い仙台味噌(赤味噌)は、
伊達正宗の庇護を受け、味噌のブランドとして現代まで引き継がれています。

なんと大豆の量は普通の1.4倍、磨き上げられた製法を厳密に守り、豆の旨みが生きた仙台自慢の味噌です。

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正宗のころ、味噌は戦陣食でした。戦場に味噌を携帯していったわけです。

朝鮮出兵の時、他藩の味噌は腐ってしまったのに、仙台藩の味噌は腐らず風味も落ちなかったそうです。

他藩が欲しがったので分け与え、仙台味噌の名は一気に全国に広がりました。

それを聞いた正宗は味噌の保護を始めました。
他国から職人を集め、藩内に御塩噌蔵(オエンゾウグラ)を作り、藩士1500人分200tの味噌を製造しました。
日本初の味噌工場です。

2代目藩主の時、藩士のために同じ材料、方法で江戸でも製造を始めました。
江戸でも仙台味噌が手に入るようになったわけです。

仙台藩では、味噌仲間が作られ、寒仕込みで熟成に2年かけ、温度管理に気を使い、じっくりと仕上げるという製法を厳密に守っています。

それらの努力によって品質は今でも保たれ、仙台味噌を守り続けています。


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吉田うどんのほとんどの店は、煮干しだしに茹でキャベツを添えるんですが、
このスタイルを作ったのが、桜井うどん店のおばあちゃんだそうです。

テレ朝系 学びEye より

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桜井うどんは、吉田にできたうどん屋さんで2番目という古い店です。
おばあちゃんは、実は沼津の人で、煮干しだしはおばあちゃんの故郷の味。
キャベツを添えたのは、それまで水かけ菜という富士の湧水で育てた冬野菜を付けていたのが、
夏には手に入らないので、一年中手に入るキャベツ(しかも地元で生産していました。)に変えたのが始まりだそうで、
このおばあちゃん(おばあちゃんと言っていますが、当時は多分おばあちゃんじゃなかったはず)のアイデアが現在まで続いているわけです。

”学びEye”の番組では、おばあちゃんは現役で店にいましたから、まだ伝説の域には入っていません。(おばあちゃんにちょっと失礼かな? だったらごめんなさい。

キャベツの他に馬肉を添えるところもあり、実は馬肉は富士吉田市の名物。
昭和20年ごろから馬肉を食べていたんだそうですが、「当時はごちそうでした」、という話です。

吉田で創業120年の老舗が「はなや」さん。
はなやさんのこだわりは白だそうで、うどんも汁も白。
茹で汁の塩味で出しますが、お好みで醤油や店独自の辛味などをあえて食べるんだそうです。
煮干しだしも、キャベツも、馬肉もなし。

はなやさんが湯盛りうどんにこだわるのには理由があります。

富士山に登る富士講というのがあるんだそうで(あるいはあったんだそうで)、
富士吉田市はその通り道でした。
その講者相手にうどん屋を始めたのが店の起りで、身を清める、という意味からも白にこだわっているそうです。


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B級グルメ、ご当地グルメの人気グルメを厳選したおいしいショップです。

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富士山のふもと、人口5万人の町に60軒のうどん屋さんがあり、
県外からもうどんを食べにやってくる富士吉田市。

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四角い太麺で、箸でもつとピンとたつ、硬くて、のど越しが悪くて、病み付きになる (リピーターさんの言。)何とも豪快なうどんです。

しかもほとんどの店がセルフ。

うどんの仕込みに8時間かける店、営業時間中に打って出す店と、店ごとに特徴はありますが、
煮干しだしにみそとしょう油の麺つゆに、茹でキャベツを添えるのが基本。

ほかに、どの店でも共通しているのが、温かいうどんでも必ず水道水で締めること。
この水道水が他の地方とは違います。
富士山の湧水が水道から出てくるんだそうです。
一年を通して12℃の冷たい水道水で締める、麺がきりっとしてコシの強さが生きるんです。

汁を吸っても崩れない堅い麺は、讃岐うどんと同じに足ふみで作ります。
というより、手では堅い麺は打てないということです。

富士吉田市は標高が高く、畑が多いので、昔から粉ものが多く食べられていました。
また甲斐絹と呼ばれる上質の絹の産地で、絹織物を求めて全国から商人が集まり、栄えました。
女性は機織りで忙しかったので、男性が代わりにうどんを打ち、うどんが家庭に根付きました。
コシの強いうどんのルーツはここにあったわけです。

*テレ朝系 学びEyeより

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宮内省に収められ、谷崎純一郎などがわざわざ取り寄せ、
明治から昭和の中ごろまで一部の人にしか手に入らなかった幻のうどん、
江戸時代は「殿様のうどん」と呼ばれていました。

それが稲庭うどんです。

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讃岐地方や吉田うどんで有名な富士吉田市は、米作には適さない地域でした。
ところが稲庭うどんで有名な秋田湯沢市は米所。
そこに極上のうどんが生まれました。

実は、秋田の南部地方では、長い冬の副業としてうどん作りが行われていたんだそうです。

稲庭うどんは手延べ製法、麺を棒でひっぱって少しづつ延ばし、乾燥させる、ゆでると半透明の見た目にもきれいなうどんになりす。

上品な味わい、そのうえ保存がきく。
そこに目を付けたのが秋田藩3代目藩主の佐竹義処(ヨシツグ)。
うどん作りを藩が独占し、技術を門外不出にしました。
ここから「殿様のうどん」と呼ばれるようになりました。

製造者が限られるので、希少価値はますます上がり、明治の代になっても庶民の手に届くことはありませんでした。

ところが昭和40年代、もともと出稼ぎの多い地方だったうえに、若者が町を離れ、町は寂れる一方。
そこで一大決心し、技術を開放することにしました。
その後、稲庭うどんは秋田のうどんへと発展し、若い技術者も多く育ちました。

おかげで今では、誰もが口にすることができるようになりました。

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「讃岐うどん」や「稲庭うどん」など、うまいうどんの専門ショップ。

うどんが我々庶民でも食べられるようになったのが江戸時代。

江戸時代には鰹節や醤油などの調味料も発展したこともあるんでしょうが、
世の中が落ち着いて、安心して旅行できるるようになったのも、一因にあると思います。
安心といっても、追剥やゴマのハエはいる、下手すりゃ野宿しなくちゃならないし、怪我をしたら病院なんてないんですから自分でなんとかしなきゃなんない、と今とは度合いが違いすぎますが。

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四国に金毘羅様がありますが、参道にうどん店があって、それを食べた参拝者が各地にそのうまさを伝えた、と言われています。

瀬戸内海から入り子ダシが、古くからの名産地小豆島から醤油が、そして瀬戸内の塩田から塩が、
というように、身近に最高の食材がそろっていたので、うどんがうまかったわけです。

確かに旅行の楽しみの一つはご当地グルメですから、お参りしたらうどんを食べないわけがない、
食べておいしければ、帰って自慢しないわけがない。
食べたことのない物をうまいと自慢されれば、うまさが頭の中で勝手に増幅します。

それは別として、昔は米よりも手軽だったと思われるうどんは、各地でそれぞれ独自の発展をします。

代表的なものを上げると、

○名古屋の八丁味噌を使った煮込みうどん。
○山梨富士吉田市の吉田うどん。
○三重のお伊勢参りの参拝者に出した伊勢うどん。
○「殿様のうどん」、秋田湯沢市の稲庭うどん。

吉田うどんは、機織りで忙しかった女性の代わりに男性か打ったので、硬くてマッチョ。
伊勢うどんは参拝者がすぐに食べられるように、箸で切れるほど軟らかく煮てあるのが特徴です。
稲庭うどんは、つい最近まで、一部の人にしか手に入らない幻のうどんといわれていました。

今から約50年前、讃岐うどんが足ふみで作れなくなるという、讃岐うどんにとっては致命的ともいえる大問題が発生しました。
旅行者に、足で踏んで食べ物をつくるなんてとんでもない、とクレームを付けた人が出てきたんです。

コシが命の讃岐うどんにアシが使えなくなって、コシがなくなれば、
アシコシが立たないわけですから、もう讃岐うどんなんていってらんなくなります。

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讃岐うどんの「足踏み問題」として新聞などで騒がれ(当時TVはあったけど、まだまだお金持ちしか持てない時代でした。)、足ふみが禁止になるかも知れないような状況になりました。
確かにゴザや布の上から足で踏むわけですから、衛生的とは言い難い部分もあるんでしょうが、
どうせお湯で煮ちゃうんだから同じだろ、と考える人は、商売には向きません。

香川県は機械化を考えてメーカーに依頼したんですが、
職人たちは機械を受け入れることはしませんでした。

考え方が古いと批判するか、職人なら当然と肯定するか、価値判断は横に置いておいて、
職人さんたちの気持ちがわからないでもありません。

ところが、これが思わぬ結果を生みました。

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職人さんたちは衛生管理を徹底させることで、何とか足ふみ製法を残しました。

これ、なんとなくオリンピックのレスリング協会に似てますね。
オリンピックから外されそうになって、急いで改革し、わかりやすい新ルールに変えることになりました。
とはいっても、まだ見てないから、わかりやすくなったかどうかわんないけど。ヾ(=^▽^=)ノ

今日の一言 = 危機感のないところに改革は生まれない。

話は違いますが、バレーボールは、昔は9人15点制でしたが、サーブ権がないと点数にならないので、ひたすらサイドアウトを繰り返すこともある、見てて疲れるものでした。
それが6人25点制になり、ボールがコートに落ちればどちらかの点になるようになって、
ハラハラドキドキ感がまして、おもしろくなりました。閑話休題。

一方、うどん製造機を開発したメーカーはあきらめずに改良を重ね、職人がいなくても讃岐うどんが作れる機械に仕上げたんだそうです。

これをチェーン店が採用、全国に広がり、讃岐うどんのブームになりました。

そうなると本場の讃岐うどんが食べたくなるのが人情で、本物を求めて香川県まで食べに行く。
讃岐には大勢人が押し寄せ、かくして香川県は「うどん県」になった、というお話です。

(NHKの『新日本風土記』の受け売りですから、悪しからず。)




讃岐うどんのコシの強さは誰しも認めることですが(それを売りにしているのだから、当然。)、
コシの強さは「足ふみ」という製法にあります。

NHKの『新日本風土記』によると、
5分踏んだら生地を丸めて30分寝かせ、これを5回繰り返す。
生地全体を均等におさえるのが大切で、ただ踏みやぁいい、てもんじゃないんだそうです・・・

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昔は男性は農作業に忙しかったので女性がうどんを作ってました。
でも女性では腕力が足りないのでコシが出ない。
そこで足ふみ、となったわけです。
中には体重が軽いので子供を背負って踏んだ、という話も残っているそうです。

初めて足ふみの映像を見たときは、食べ物を足で踏むのかよ Σ(=゚ω゚=;)、
とちょっとだけ驚いだんですが、やっぱそう思う人はいっぱいいたらしく、
しかも昔はゴザや布をひいて踏んでいたそうですから、ちょっと以上に驚いたわけです。

話は今をさかのぼること、およそ50年ほど前、
足ふみを見たある旅行者が(単数か複数か、番組では触れられていません。)、
不潔な行為と保健所にクレームを付けました。
これが「足ふみ問題」として新聞などに取り上げられ、
足ふみができなくなってしまうかもしれないほどの大騒ぎになりました。

ひょっとした、『讃岐うどん』というご当地グルメは、なかったかもしれないほどの危機だったようです。



うどんはいつ頃から食べられていたのか。
NHKの『新日本風土記』によれば、確かな記録があるのは、鎌倉時代で、僧侶が食べていたんだそうです。

今のように庶民の口に届くようになったのは、やっぱり江戸時代。
逆に言えば、それまでうどんは高級品だったということで、B級グルメどころか、A級グルメだったわけです。

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平安時代の『延喜式』(年中行事記した本。こんな本、読む機会は今までなかったし、これからも絶対ない。)には、小麦の精製に臼と杵を使っていたことが書かれているそうです。
これで小麦粉はできても、うどんを作っていたかどうかは不明。
臼と杵で小麦を粉にするのは、これは重労働です。
というわけで、小麦粉は高級食材だったわけです。

小麦粉が普及するには、石臼などの道具の発達を待たなければなりませんでした。
新しい便利な道具がひろまり、小麦粉はようやく使いやすい食材になったわけです。

なが~いことかかって、やっと庶民の口の近くまでたどり着きました。
前にも書いたように、讃岐うどんで有名な讃岐地方は、米作に不向きという風土だったわけですから、ほかの地方のどこでも小麦を作っていたとは思えないので、今のようにうどんがご当地グルメといえるような食べ物に進化していたかどうか、わかりません。(●´ω`●)

グルテンが多く含まれるうどんに、コメの味、甘味などを映していたのでは、と考える人もいます。
何せ、米を作っている人が米をめったに食べれない時代が、ずっと続いていたんですから・・・
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