ご当地グルメうまいもの情報/B級グルメから調味料まで

うまいものを食べると、なぜか幸せになります。 うまいものが大好きな人のために、ご当地グルメや特産品、人気の食品や話題の商品など、 うまい食べ物の情報を紹介するブログです。

ご当地グルメ

うどんが我々庶民でも食べられるようになったのが江戸時代。

江戸時代には鰹節や醤油などの調味料も発展したこともあるんでしょうが、
世の中が落ち着いて、安心して旅行できるるようになったのも、一因にあると思います。
安心といっても、追剥やゴマのハエはいる、下手すりゃ野宿しなくちゃならないし、怪我をしたら病院なんてないんですから自分でなんとかしなきゃなんない、と今とは度合いが違いすぎますが。

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四国に金毘羅様がありますが、参道にうどん店があって、それを食べた参拝者が各地にそのうまさを伝えた、と言われています。

瀬戸内海から入り子ダシが、古くからの名産地小豆島から醤油が、そして瀬戸内の塩田から塩が、
というように、身近に最高の食材がそろっていたので、うどんがうまかったわけです。

確かに旅行の楽しみの一つはご当地グルメですから、お参りしたらうどんを食べないわけがない、
食べておいしければ、帰って自慢しないわけがない。
食べたことのない物をうまいと自慢されれば、うまさが頭の中で勝手に増幅します。

それは別として、昔は米よりも手軽だったと思われるうどんは、各地でそれぞれ独自の発展をします。

代表的なものを上げると、

○名古屋の八丁味噌を使った煮込みうどん。
○山梨富士吉田市の吉田うどん。
○三重のお伊勢参りの参拝者に出した伊勢うどん。
○「殿様のうどん」、秋田湯沢市の稲庭うどん。

吉田うどんは、機織りで忙しかった女性の代わりに男性か打ったので、硬くてマッチョ。
伊勢うどんは参拝者がすぐに食べられるように、箸で切れるほど軟らかく煮てあるのが特徴です。
稲庭うどんは、つい最近まで、一部の人にしか手に入らない幻のうどんといわれていました。

今から約50年前、讃岐うどんが足ふみで作れなくなるという、讃岐うどんにとっては致命的ともいえる大問題が発生しました。
旅行者に、足で踏んで食べ物をつくるなんてとんでもない、とクレームを付けた人が出てきたんです。

コシが命の讃岐うどんにアシが使えなくなって、コシがなくなれば、
アシコシが立たないわけですから、もう讃岐うどんなんていってらんなくなります。

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讃岐うどんの「足踏み問題」として新聞などで騒がれ(当時TVはあったけど、まだまだお金持ちしか持てない時代でした。)、足ふみが禁止になるかも知れないような状況になりました。
確かにゴザや布の上から足で踏むわけですから、衛生的とは言い難い部分もあるんでしょうが、
どうせお湯で煮ちゃうんだから同じだろ、と考える人は、商売には向きません。

香川県は機械化を考えてメーカーに依頼したんですが、
職人たちは機械を受け入れることはしませんでした。

考え方が古いと批判するか、職人なら当然と肯定するか、価値判断は横に置いておいて、
職人さんたちの気持ちがわからないでもありません。

ところが、これが思わぬ結果を生みました。

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職人さんたちは衛生管理を徹底させることで、何とか足ふみ製法を残しました。

これ、なんとなくオリンピックのレスリング協会に似てますね。
オリンピックから外されそうになって、急いで改革し、わかりやすい新ルールに変えることになりました。
とはいっても、まだ見てないから、わかりやすくなったかどうかわんないけど。ヾ(=^▽^=)ノ

今日の一言 = 危機感のないところに改革は生まれない。

話は違いますが、バレーボールは、昔は9人15点制でしたが、サーブ権がないと点数にならないので、ひたすらサイドアウトを繰り返すこともある、見てて疲れるものでした。
それが6人25点制になり、ボールがコートに落ちればどちらかの点になるようになって、
ハラハラドキドキ感がまして、おもしろくなりました。閑話休題。

一方、うどん製造機を開発したメーカーはあきらめずに改良を重ね、職人がいなくても讃岐うどんが作れる機械に仕上げたんだそうです。

これをチェーン店が採用、全国に広がり、讃岐うどんのブームになりました。

そうなると本場の讃岐うどんが食べたくなるのが人情で、本物を求めて香川県まで食べに行く。
讃岐には大勢人が押し寄せ、かくして香川県は「うどん県」になった、というお話です。

(NHKの『新日本風土記』の受け売りですから、悪しからず。)




讃岐うどんのコシの強さは誰しも認めることですが(それを売りにしているのだから、当然。)、
コシの強さは「足ふみ」という製法にあります。

NHKの『新日本風土記』によると、
5分踏んだら生地を丸めて30分寝かせ、これを5回繰り返す。
生地全体を均等におさえるのが大切で、ただ踏みやぁいい、てもんじゃないんだそうです・・・

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昔は男性は農作業に忙しかったので女性がうどんを作ってました。
でも女性では腕力が足りないのでコシが出ない。
そこで足ふみ、となったわけです。
中には体重が軽いので子供を背負って踏んだ、という話も残っているそうです。

初めて足ふみの映像を見たときは、食べ物を足で踏むのかよ Σ(=゚ω゚=;)、
とちょっとだけ驚いだんですが、やっぱそう思う人はいっぱいいたらしく、
しかも昔はゴザや布をひいて踏んでいたそうですから、ちょっと以上に驚いたわけです。

話は今をさかのぼること、およそ50年ほど前、
足ふみを見たある旅行者が(単数か複数か、番組では触れられていません。)、
不潔な行為と保健所にクレームを付けました。
これが「足ふみ問題」として新聞などに取り上げられ、
足ふみができなくなってしまうかもしれないほどの大騒ぎになりました。

ひょっとした、『讃岐うどん』というご当地グルメは、なかったかもしれないほどの危機だったようです。



うどんはいつ頃から食べられていたのか。
NHKの『新日本風土記』によれば、確かな記録があるのは、鎌倉時代で、僧侶が食べていたんだそうです。

今のように庶民の口に届くようになったのは、やっぱり江戸時代。
逆に言えば、それまでうどんは高級品だったということで、B級グルメどころか、A級グルメだったわけです。

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平安時代の『延喜式』(年中行事記した本。こんな本、読む機会は今までなかったし、これからも絶対ない。)には、小麦の精製に臼と杵を使っていたことが書かれているそうです。
これで小麦粉はできても、うどんを作っていたかどうかは不明。
臼と杵で小麦を粉にするのは、これは重労働です。
というわけで、小麦粉は高級食材だったわけです。

小麦粉が普及するには、石臼などの道具の発達を待たなければなりませんでした。
新しい便利な道具がひろまり、小麦粉はようやく使いやすい食材になったわけです。

なが~いことかかって、やっと庶民の口の近くまでたどり着きました。
前にも書いたように、讃岐うどんで有名な讃岐地方は、米作に不向きという風土だったわけですから、ほかの地方のどこでも小麦を作っていたとは思えないので、今のようにうどんがご当地グルメといえるような食べ物に進化していたかどうか、わかりません。(●´ω`●)

グルテンが多く含まれるうどんに、コメの味、甘味などを映していたのでは、と考える人もいます。
何せ、米を作っている人が米をめったに食べれない時代が、ずっと続いていたんですから・・・
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「うどん県」香川は、さすがにうどん県だけあって、おもてなしは必ず讃岐うどんなんだそうです。
法事の時もうどん、生きている人と死んだ人を繋げるという意味が込められているそうです。
お遍路さんの接待もうどん。
何かがあれば、とりあえずうどん。
とにかく、うどんがないと生活が成り立たないわけです。

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なぜ讃岐にうどん文化が栄えたのか。

NHKの『新日本風土記』によると、
讃岐地方は降水量が少なく、ため池が多いんだそうで(行ったことがないのでわかりません。)、
稲作には不向きだったことが理由だそうです。

稲の代わりに小麦を植え、できた小麦をどうおいしく食べるか、それがこの地方の生きる知恵だったわけです。

香川では、うどんは空海さんが中国から持ち帰ってきたもの、と伝えられているそうです。
空海さんの生誕の地にある善通寺では、6月の上旬に、讃岐うどんの”献麺式”が毎年行われ、
うどんを伝えてくれたことに感謝する儀式を行います。

香川では、生活の中心にうどんがあるわけで、文句のつけようのない「うどん県」です。

関西はうどん、関東はそば、と相場は決まっているようですが、大阪では風邪をひいたらうどんを食べるんだそうで・・・

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NHKの『新日本風土記』うどんについての番組の中で、讃岐うどんや稲庭うどんと合わせて、
大阪のうどん文化も紹介されていました。
ご当地グルメのような独自のうどんというわけではなく、風邪をひいたらとうどんを食べる、という習慣が大阪には昔からあったんだそうです。
今でもその文化は引き継がれていて、風邪をひくのはつらいけど、うどんが食べられるのでうれしくもある、今でも風邪をひいたらうどんを食べる、といったコメントが何人かからありました。

「ともかくも 一夜薬で うどん食べ」という川柳も残っています。

実は大阪では、明治・大正・昭和のはじめと、うどん屋で薬を売っていたんだそうです。
(これは知らなかったなぁ)

1800年前の中国の医学書「傷寒論」というのに、
「消化の良い熱い汁物と薬を一緒に飲めば、薬力があがる。」と記されているんだそうで、
末広幸三郎という薬屋さんがこれに目を付け、うどんと一緒に風邪薬を売ったのが始まりで、
明治期に広まり、
戦後、薬事法で禁止されるまで続いたんだそうです。

それで大阪の人は、今でも風邪をひくと、生姜を入れたアツアツのうどんを食べるんだそうです。


NHKBSの『新日本風土記』の再放送で、「うどん」という題の付いた番組がありました。
紀行なのに”うどん”ですが、さすがNHKさん、見ごたえがあって、うどんの歴史やいわれなど紹介しながら、人々とうどんのつながりを丹念に追っていき、60分があっという間に過ぎてしまいました。

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今は讃岐うどんが大ブームですが、なんと香川県には800以上のうどん店があり、年間一人当たり300玉以上を消費しているようで、さすが「うどん県/香川」です。

そういえば民放の番組で、「うどん大使」の要 潤さんが、うどんの食べ比べをやって見事讃岐うどんを食べ当てましたから、かなり食べなれているということでしょう、大したものです。

うどんは当然ご当地グルメなんですが、B級グルメには入るのかどうか、
焼きそばはB級グルメなんだから、やっぱ入るんでしょうね。

山梨の吉田うどん、三重の伊勢うどん、秋田の稲庭うどんなど、各地にはそれぞれ特徴のあるうどんがあって、食べ方もいろいろですから、B-1グランプリに出てないのか、去年はなかったみたいですが…

ソバやウドンにつきものなのが天ぷら。

天ぷらは室町時代、ポルトガルから伝わったと言われていますが、そうであれば語源はポルトガル語の「調理」という意味の"tempero"ということになるんでしょう。
ところがスペイン語の"templo"(肉を禁じて、魚の揚げ物を食べる「天上の日」のこと。)という説、
中国語説など諸説があり、はっきりわからないようです。
5~600年前のことですから、当然といえば当然ですが。(^∀^)

関西(江戸時代までは日本の中心)では漬けあげ、関東ではゴマ揚げといったそうで、
いつのころからか「天ぷら」と呼ばれるようになりました。
山東京伝が名付け親、なんて説もあります。

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初めは野菜中心だったらしいんですが、江戸時代なると魚介類が豊富に流通し、大きく発展しました。

日本橋に魚河岸があり、将軍家に献上した余りを屋台で売っていたそうで、
江戸時代のファストフードです。
魚介を串にさし、小麦粉を付けて揚げ、タレは大きな器に入れ、当然二度漬け禁止。

江戸末期になると店で出すようになり、だんだん高級なものが求められるようになりました。

そこで出てきたのが、金ぷらと銀ぷら。
とにかく日本人は凝り性です。

小麦粉に卵黄を加えたものが金ぷら。
次第に凝ってきて、より黄金色を出すために椿油を使ったところもあったそうです。

卵黄の代わりに卵白だけを加えたものが銀ぷら。こちらは白くするため菜種油を使ったそうです。

やはり、日本食発展の源泉は江戸時代にあり、ということで、
平和(飢饉や天災・疫病、一揆がいっぱいありましたから、平和と言っていいのかどうかわかりませんが)な280年は貴重な280年だったんですねェ(NHK”歴史秘話”風に)。

BS日テレ「料理始まり帖」他より

東京はソバ、関西ではウドンが愛されていますが、実はウドンに比べてソバの歴史は結構浅いんです。

TVの時代劇で、江戸っ子が粋にそばをタグってるシーンはおなじみですが、
実は江戸初期まで、麺といえばウドンのことで、蕎麦は蕎麦がきのことだったそうです。
棒状のものは蕎麦切りと呼ばれ、区別されていたみたいです。

三代将軍家光さんのころ、「料理物語」という、おそらく日本で最古のレシピ本といわれるものがあって、
それに拠ると、どうもタレミソというもので食していたみたいです。
味噌を水で割ってじっくり煮詰めたものの上澄のタレだそうで、結構濃そうです。

タレミソから100年ほどたったころ、醤油に酒、かつおぶしを使った今の麺つゆに近いものができたそうです。
前にも書いたのですが、江戸中期ころになってやっと醤油が江戸に広まり、鰹節も使われるようになったことが、お江戸のグルメ文化を進化させたわけです。
今に伝わる江戸の味は、ほとんどが化政期以降のものというわけです。

もし時代劇で元禄ごろに蕎麦をくっているシーンがあったら、間違いなんですが、細かいことは気にしないでドラマを楽しむのが、ただで観せてもらっているものの礼儀というものです。

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更科蕎麦というのがありますが、これは蕎麦の実の中心の白い部分だけで作ったそばで、白く甘みがある高級蕎麦のことだそうです。(プチトリビア、

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鶴太郎さんが、「謎解き、江戸のススメ」で言っていたんですが、落語家に弟子入りしたとき、師匠から蕎麦を食ってみろと言われ、いつもどうりタレをたっぷりつけて食べたら、ダメだしされたそうです。
江戸子っ子は、蕎麦の先だけちょこっとつけていただくのが粋なんだとのこと。

今でも通の人は先に蕎麦だけ何もつけづに食べ、香りを楽しんでますが、
鶴太郎さんはその時師匠に旨いかと聞かれ、答えに困ったそうです。
うまいわけがないんで、当然師匠もそれは分かっていて、要はちょっと足りないのやせ我慢して食べるのが江戸っ子の粋なんだということだそうです。

そういえば、銭湯でも熱いお湯に我慢して入る下町っ子のおじさんたちがいますが、あれが粋というもんなんでしょう。 

今や世界で愛される和食の代表、お寿司。
お寿司の歴史はかなり古く、その姿もかなり違ったのも。 

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 鮨が作られたのは、魚を長期保存するため。
最初に鮨という言葉が出てくるのは、平安時代の延喜式で、たぶんなれ鮨のこと、といわれています。
魚を塩と米で発行させ、1年も寝かせないとできないものだったそうです。

17世紀、室町から戦国時代にかけて酢が発明され、 大きく進化してゆきます。

酢の保存性と風味で鮨にかかせないものとなり、 いつしか発酵させるための酢飯も食べるようになったそうです。
風味ばかりか、冷めても固まらないので、食品としてのバランスがよくなりました。

やがて押し鮨がうまれ、ついには押すのも待ってらんねぇと、気の短い江戸っ子が酢飯に生魚をのせて握り、寿司になりました。
お江戸も後期のころで、すでに醤油も広まっていたはずですから、まさに今の寿司の形になったといいえるでしょう。

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お寿司が世界に広まって、世界各地で驚きのお寿司ができていることは、TVでちょくちょく紹介してくれるので、周知のことですが、考えてみれが、ラーメンは東京生まれで、韓国料理の石焼ビビンバも日本生まれ。
ナポリタンスパゲティ、カレーライスも日本生まれで、忘れちゃったけど帝国ホテル生まれのフランス料理もあったような… 
お鮨にその国にあったいろんな形ができてくることは、むしろ世界に認知されたというべきか。

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