ご当地グルメうまいもの情報/B級グルメから調味料まで

うまいものを食べると、なぜか幸せになります。 うまいものが大好きな人のために、ご当地グルメや特産品、人気の食品や話題の商品など、 うまい食べ物の情報を紹介するブログです。

B級グルメ

TVKに「かながわ旬菜ナビ」という番組があります。
神奈川のご当地グルメやB級グルメなどを紹介する番組です。

明治の代になって、文明開化の号令のもと、四ッ足の肉を食べるようになった第1号が横浜にあったということを、その番組から初めて知りました。

それまでは仏教の影響からか、動物の肉食は禁じられていましたが、どうもそれほど厳密なものではなかったようで、地方では馬などは古くから食べていたようですし、ウサギを1羽2羽と数えるのは、鶏肉だと言い張って食べていた名残とのことです。

ちなみに福島県ではウサギは食べません。野兎病という恐ろしい風土病があったからです。

.。o○o。.★.。o○o。.☆.。o○o。.★.。o○o。.☆.。o○o。.★.。o○o。.☆.。o○o。.★.。o○o。.☆

横浜に「太田なわのれん」という、なんと創業明治元年の老舗があります。
そこの初代、高橋音吉という人が、日本人の好みに合わせた牛鍋を考えたんだそうです。
それから今で7代目。

創業当時は薄く浅い鉄鍋で、煮るといった感じで食べていたようです。
牛肉はサイコロステーキのように四角くカットされていたとか。

それを味噌味で食べます。

現在出されているものは創業当時とは違うんでしょうけど、とにかくうまそうで、案内人が食べるのを見るにつけ、腹が立ってきます。

いったい、料理番組やグルメ番組というのは、
うまいに決まっているものを、画面の向こうで他人が食べているわけですから、
何が嬉しくて見なきゃなんないんだ、といつも思うのですが、
唾を口の中にいっぱいためながら、ついつい見ちゃうんだなぁ、これが。

とにかく、その味を想像しながら酒を飲んでいれば安上がりなんで、
食ったつもりで足れり、とすることが、貧乏人のせめてもの意地ということで、悪態をついて、すいません。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

「おにぎりあたためますか」という北海道のローカル番組があります。
大〇洋さんがメジャーデビューするきっかけになった番組だと記憶しているんですが、違うかもしれません。

とにかく日本全国、ゴチャゴチャ言いながらご当地グルメやB級グルメを食い倒すという番組です。

☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.☆゚+.

土佐は高知市の老舗料亭(そういえば、前に土佐ジローという地鶏のことを紹介しましたが、あれもこの番組でした。)、鰹尽くしの料理が出ました。
勿論カツオのたたき、それにカツオのしゃぶしゃぶ、コロッケとコースで山盛り、
その中で、最近人気の料理として、「塩たたき」なる料理が紹介されました。

塩味だけの料理で、ニンニクとワサビをつけていただくんだそうですが、
いい鰹でしかできないので、数量限定の幻の一品です。

いい鰹というのは、鮮度だけではなく、質のいい鰹ということだそうです。
質のいい鰹は一本釣りで獲れたものでないとダメなんだそうで、
巻き網で獲ると、寿命が付きそうな奴から病気の奴までみんな一緒くたになっていまい、
なおかつ傷がついて、傷みが早くなるんだそうです。

一本釣りは、群れの中でも元気のいい奴が真っ先に餌に食いつくんで、
生きのいい鰹が取れるとのことです。
納得。

めったに口にできないと聞くと、余計に食べたくなりますが、今は我慢…

カツオのコロッケはカツオのミンチが入っていて、カツオのダシがきいていてうまいっ! なんてコメントしていましたが、カツオが入っているんだから当たり前。
まあ、ご愛嬌というところです。

ちなみに、カツオのフライもおいしいですよ。
刺身を食べ残した翌日に、よくフライにするんですが、いけますからぜひお試しください。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

戻りカツオのおいしい時期になってきましたが、
カツオはかなり昔から食べられていたらしく、万葉集にカツオを詠った歌が載っています。

当然、当時は一本釣りしかないんでしょうが、豪快な一本釣りで有名なのが、土佐の高知。

.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○

土佐では、古くから、保存食として干したカツオが食べられていたんだそうです。

干せば堅くなります。堅い魚⇒鰹となったんだとか。

当時は献上品になっていたほどの名物だったようですが、
戦国時代、長宗我部軍は戦場での携帯食としていたようです。

と同時に戦のお守り、戦勝祈願の縁起物でもあった、とのことです。

理由は?

鰹節=勝男武士。なるほど。

江戸も中ごろになった時、土佐藩では食中毒が頻発、
そこで山内家では、カツオの刺身を食してはならん、とお触れを出しました。

当時の道路事情を考えれば、魚を刺身で食うというのは、どんな魚であれ、危険は伴っていたとおもいますが…

食べてはならん、と上から言われれば、余計食べたくなるのが人情。
ましてや「異骨相(いごっそう)」といわれる反骨精神旺盛な土佐っ子のことですから、
表面だけ焼いて、刺身じゃないと言い張って食べたそうです。

ところが意外や意外、これがうまかった。

こうして土佐のご当地グルメ、カツオのタタキが誕生しました。

mainimg_8Ca1111おいしい海の幸が、産地直送でいっぱい食べられます。
通販ならでは各地の名産をお楽しみください。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

鯨を一頭獲れば、7つの里が潤う、と昔から言われてきましたが、
頭から尻尾まで、残すことなく食べていたそうです。

特に美味といわれているのが、「尾の身」と呼ばれている尻尾の部分、古くは「おばいけ」と呼ばれていたようです。
『貞丈雑記』という本には、鯨の氷頭(頭の骨)をカンナで削って乾燥させ、酢と醤油をかけたり、吸い物にして食べた、とあります。

骨まで食べちゃうんだ。

.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○

紀州は鯨漁が盛んで、「網取り法」という独自の漁法を編み出し、これにより捕獲量は飛躍的に上がったそうです。
4~500艘もの舟で追い込む漁法だったようで、なんとも豪快な景色だったことでしょう。

紀州藩初代藩主、徳川頼宣は、これが大好きだったようですが、水軍の訓練と思われ、幕府から睨まれたという話です。
それでも紀州藩は鯨漁を奨励し、「鯨方」という専門の役所まで作ったそうです。

紀州の漁師たちは自分たちが編み出した「網取り法」を企業秘密にしないで、各地に教え広めたそうです。
これにより、多くの人たちが助けられたことでしょう。
何せ、一頭で7つの里が潤うくらいですから。

実はしょう油と鰹節は紀州が発祥の地だそうで、紀州人たちはこれらも惜しむことなく伝えたので、各地に広まりました。

日本のグルメの柱となるダシとしょう油が広まることで、江戸中期期以降、日本の料理はいっきに開花しました。

いま私たちがクールジャパンとして日本料理を外国に自慢できるのも、B級グルメやご当地グルメに舌鼓を打つことができるのも、みんな紀州人のおかげなんですね。感謝!

*ABS朝日「歴史発見 城下町へ行こう」より


top_mainimg_8Eb113
鯨のお肉が食べたくなった人は、こちらから買ってね。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

「海の宝石」とも「グリーンキャビア」ともいわれる海ぶどうですが、
沖縄県恩納村のご当地グルメ「海ぶどう丼」は、メディアで紹介され、有名B級グルメの仲間入りを果たしました。

しかしこの海ぶどう、養殖に成功するまでには、5年もの月日がかかったそうです。

━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─

沖縄といえば、有名なのはモズク。
モズクの養殖は盛んだったそうですが、海の中での長時間労働が強いられ、大変な重労働なのだそうです。
(「あまちゃん」でも、簡単には海の中に潜れなかったので、海中作業というのは、かなり体力を使うのかもしれません。)

歳を重ねた人たちでも作業ができるように、陸の上で養殖できるものはないか、
そう思い立った男が海ぶどうに出会い、平成元年から陸上養殖に取り組み始めました。

当時、海ぶどうはメジャーではありませんでした。
そんな中、養殖に取り組もうとした勇気に乾杯です。(多分、周りからはいろんなことを言われたと思います。)

ところがこの海ぶどう、
光合成する生き物なんで、光の量が多すぎても少なすぎてもダメ、お天気に合わせて光量の調節が必要で、
しかも陸の上だから栄養不足になるから、チッソやリンなどの肥料を与え、
一日でも面倒を見ない日があると、成長にムラが出るという、なんとも手間のかかる厄介なもの。

試行錯誤の上、5年をかけてようやく養殖の一連のプロセスを確立しました。
しかしまだ問題が…

単細胞でできている海ぶどうは、収穫した時、切り口からヌメリが出て、そのままだと数時間で死んでしまうんだそうです。
そこで3日かけて海水の中で傷口を癒してやり、これでやっと商品に、
と思いきや、
難敵海ぶどう、熱に弱く、冷蔵保存しても萎んでしまうという、きわめて扱いにくい食材でした。

これでは飲食店も二の足を踏みますが、養殖に賛同して取り組んできた地元の人たちの努力で、ようやくホテルでお土産といして扱ってもらえることになりました。
すると徐々に名前が知れ、人気ご当地グルメになりました。(よかったよかった。

そして農林水産祭(といものがあるんだそうです。)、水産部門で、なんと天皇杯受賞、お上からもお墨付きを頂き、沖縄を代表する食材の一つに認められました。

いろんなメディアでも紹介され、「海ぶどう丼」は大スターになって、国内外からこれを目的に人が訪れるようになりました。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

ゆで卵の中で、黄味と白味が逆なっている不思議な卵料理、「黄味返し卵」。
記載されている「万宝料理秘密箱」の方法では、作ることができません。

でも、当時はできたんです。だから載っているんです。

.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○

実は、江戸時代の卵は有精卵。現在売られている卵は無精卵。
この違いが、できるできないの差だったんです。

有精卵は、成長の過程で、黄味が周りの栄養を吸い取って、だんだん大きくなるんだそうです。
白味は水分を取られて小さく堅くなる。

糠味噌に浸けておくと、糠の発酵温度が38度で、ちょうど親鳥と同じなんだそうで、卵が成長します。
黄味が大きくなった状態で、針を刺して黄味を割ると、白味が黄味の中で浮遊している状態になります。

そのまま茹でると、「黄味返し卵」ができるわけです。

では、無精卵ではできないのか。
できるんです。考えた人がいます。暇なのか偉いのかよくわかりませんが、遊び心だけは十分持っています。
京都女子大の、八田一教授です。

教授の考えた方法は、

1)卵をストッキングに入れ、両端を手で持って高速で回す。
2)懐中電灯で透かして見て、卵が透けて見えなければ成功。
3)菜箸で転がしながら茹でる。

ただ、この方法で完璧に作るのは難しいそうです。

何年前になるのかも忘れてしまったんですが、この方法が発表されたときに、TVのニュースで報道され、再現実験もやったのを見てたんです。

江戸時代に、黄味と白味が逆のゆで卵を創ろうと思いついた人がいて、それを完成させ、本に載せ、200年近くたってそれを読んで再現させようとして、別な方法ではあっても再現に成功した人がいる。

なんとも愉快な話はありませんか。

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

main_title_08_181

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

江戸後期に「万宝料理秘密箱」という料理本があります。
卵の部は通称「卵百珍」、103種類の卵料理が載っています。
この中に、驚きの卵料理があります。
「黄味返し卵」―ゆで卵にすると、白身と黄身が逆になっている、つまり、黄味の中に白味がある卵なんです!

.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○

「黄味返し卵」は幻の料理といわれています。
めったにお目にかかれない料理、というわけです。

本に書かれた作り方を見ると、

1)新しい卵を糠味噌へ3日ほど浸けておく。
2)針で頭に穴をあけ、茹でる。

これだけです。

しかしこれでは絶対にできません。幻の卵料理といわれる所以です。

卵の黄味と白味の分量は、1:2になっています。
「黄身返し卵」を作るには、黄味が白味より多くならなければならないんだそうです。

だったら、本には嘘が書かれていたのか。
いえ、江戸時代にはできたんです。現代だからできなんです。

なぜ?

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

top_mainimg_8Eb113mainimg_8Ca1111mainimg_8Cc1111

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

江戸時代も中ごろの宝暦年間(1751~1763)にもなると、食は上方ではなく江戸、といわれるほど、食文化が発展したそうです。

現代のどこぞの国と同じように、レシピ本が続々と出版されるようになりました。

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

天明2年、「豆腐百珍」という本が刊行されました。なんと、豆腐料理が100種類。
これが売れたもんだから『百珍』ものが次々と出ました。
「大根百珍」、「甘藷百珍」etc。

それらの中で、究極のグルメ本が、「料理珍味集」(作者不明)だそうです。

なにせ、紙まで食べちゃお、というものです。

紙で作る料理名を、”目くり餅”というんだそうです。
和紙は、コウゾの皮をたたいて伸ばし、もち米を加えて作るんだそうで、もち米が入ってるんだから、食えないわけがない、という乱暴な料理です。

江戸っ子は、食えるものなら何でも食べます、ただしコタツはいけません、あれは当たるものから。
落語ネタです。失礼しました。

”目くり餅”の材料は浮世絵などに使われた奉書紙というものだそうで、紙は貴重だったので使い回ししたわけです。

作り方:
奉書紙を3日間水に浸ける。
線維が溶けやすくなり、紙についた墨なども流れ落ちる。
紙をちぎって細かくし、葛を混ぜてこね、餅にする。
出来上がった団子を味噌汁で煮る、
んだそうです。

再現したものをスタジオでMCさんが試食しましたが、一口でギブアップでした。

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

『謎解き 江戸のすすめ』から、江戸グルメの続き。

江戸で人気だったスイーツに、”みたらし団子”もあります。
おそらく、いま食べられているものとそんなに変わらないと思います。

みたらし団子は、京で人々の健康を祈って食べられていたものだそうです。
五体(頭、両手、両足)を表し、1串に5個団子が付いていて、5文(約95円)でした。

京のB級グルメがお江戸に来ると、5つから4つになったそうです。
理由はというと、江戸後期になると、4文銭ができ、それが貨幣の中心となり、
5文だとおつりが面倒、
そこで4文にして、団子も4つにしたということだそうです。

現代人と違い、5個のまま値段だけ下げようという発想は、江戸人にはなかったみたいです。

.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○

ここからは番組を離れて、団子のウンチク。(学登社、『「食」の文化誌』より)

団子のもとは、奈良時代に伝わった糖菓子の一つで、団喜(米粉を丸め、茹でて、甘葛を塗ったもの)とされているそうです。
丸い形が基本のようですが、必ずしも丸とは限らなかったみたいです。

近世になると、団子の名物専門店が各地にでき、その中でも著名だったのが、「御手洗(みたらし)団子」でした。
京都下鴨神社の水無月祓えのとき、境内で売られていて、山城の名産、とものの本にあるそうです。

社家の人がお公家さんに献じ、また水無月祓えの参詣者のために設営された茶店の名物だったようです。
当時のもののは、残された狂歌などから類推すると、どうも味噌ダレだったようです。

button21111
お買い得な訳ありフード専門のショップ。
満腹感いっぱいで、お財布にやさしい”おいしさ”をどうぞ。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

再び、ふたたびBSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』から。

お江戸のスイーツの中でも大ヒットしたのが、大福だそうです。
大福は大好きで、漉し餡よりも潰し餡の方が好きなんですが、好みにはそれぞれ言い分があるでしょうからこれだけにしときます。

明和8年といいますから、西暦では1771年冬のこと。
小石川にお玉という女性がいました。

この女性にひらめきが降りてきました。
人気の餅の中に甘い餡を入れたら、売れるに違いない。
それまで塩餡やうぐいす餡はあったのですが、甘い餡はなかったそうです。

お玉さんはこれに大福餅という縁起のいい名前を付け、かごの中に火鉢を入れ、アツアツに焼いて売りました。
これが寒いお江戸で大ヒット! 大福の大ブームになったそうです。

註1.お江戸が今より寒かったのは間違いありません。
ましてや、着るものも粗末で、毛糸の靴下やブーツなんてものもありませんから、かなりきつかったと思います。

註2.今は技術がよくなって、大福の餅は柔らかさを長らく維持してますが、昔は時間がたつと固くなったものです。
硬くなった大福を、母親がよく網で焼いてくれたものですが、
お焦げがつくくらい焼くと、餅がパリパリになって、それはそれで、またうまいものでした…
(こんな話、同年代の人と飲み屋でやったら、盛り上がるだろうなぁ。)

ヒットの理由はもう一つあるそうです。
大福は、餅は炭水化物、餡の小豆に含まれるビタミンB1と相まって、即効性の高いカロリー源なんだそうです。
寒い江戸に、焼いた大福はぴったりのスイーツだった訳です。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

↑このページのトップヘ