お酒、グルメ、雑学/お役立ち情報

お酒やグルメなど、うまいご当地グルメ、お取り寄せグルメ、人気の食品や健康と食べ物など、いろいろな雑学や情報のブログです。

B級グルメ

TVで紹介されるお元気高齢者の多くが、好物にお肉を挙げています。

肉を食べれば元気になれる! 
と、どっかのタレント議員さんみたいに叫んでみたくなるところですが、
確かにお肉はスタミナがつきます。

夏の暑さをぶっ飛ばす、肉を食べよう、
とはいっても、おいしくいただくにはみんなでワイワイ食べるのが最高、
というわけでBBQです。

BBQ肉で人気なのが、秘伝のタレで漬け込んだ『亀山社中の タレ漬け焼肉・BBQセット』
古都金沢の伝統の味『直源 丸大豆醤油』仕込みの秘伝のタレに漬け込みんだ、濃いめで少し甘めの味はご飯のおかず、ビールに相性ピッタリです。

とはいえ、ちょっと味が濃かったです、とのご意見もいただいております。
さっぱり系がお好きな方はタレなしで、がっつり食べたい方は亀山社中のたれ付け肉がおすすめです。
実際、亀山社中のお肉はリピーターが多く、広く人気を頂いています。

今回のおすすめは、華咲きハラミ&華咲きひとくち牛モモセット。
ハラミはおなかの部分で、どちらかというとホルモン系。
でもその旨さは、一度食べたらすぐに虜になります。
ロースやカルビよりもハラミ、というファンが着実に増えています。
モモは食べ応えバッチリ、食べやすい一口大に切ってあるのもうれしい心遣いです。 

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BBQの時におすすめの方法が、ゾーンファイヤー。
炭の置き方を、全体的に均一にするのではなく、
炭のない所、中くらいの所、多い所と3つのゾーンに分ける方法です。
肉や食材によって焼き上がり時間が違うので、それぞれにあった場所で焼くためです。

 もっと詳しく知りたい人は、次をごらんください。
TVが教えてくれる、BBQ裏ワザ。なるほど、納得
TVが教えてくれる、BBQ裏ワザ Ⅱ
TVが教えてくれる、BBQ裏ワザ Ⅲ

「亀山社中 タレ漬け焼肉・BBQセット 華咲きハラミ&華咲きひとくち牛モモ 」は、
うまい焼肉お取り寄せの大競宴―焼肉グルメ通販市場でお求めください。 

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NHKBS「新日本風土記」『鯖街道』によると、滋賀の若狭と京の中間に平良(へら)というところがあり、この地の名物が「鯖のなれ鮨」です。
鯖の腹に米を詰め、1年ほど発酵させて作る郷土料理、今に続く伝統あるご当地グルメです。

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なれ鮨は、琵琶湖のフナが有名ですが、鯖街道沿いなので、鯖で作った訳です。

鮨はもともと熟(な)れ鮨から始まったようですが、歴史はかなり古く、東南アジアのコメ作地帯で作られていたものが伝わったといわれています。
奈良時代の文献にそれらしきものが見えるらしいですから、保存食として古くから作られていたのでしょう。

当時は魚だけではなく、貝類も用いられていたようです。ホヤやアワビなどの名も散見されるそうです。

基本は塩漬けにしたものにコメを加え、乳酸発酵させたものです。
発酵食品ですから、結構きつい匂いがしたのではないかと想像されます。

小浜の伝統料理に、鯖の漬物、「へしこ」があります。
名前は知っていましたが、食べたことはありません。
軽くあぶったり、茶づけにするといいとのことですから、酒飲みにはたまらなそうです。

塩漬けにした鯖に付けた塩汁と米ぬかを加え、1年間漬け込むんだそうですが、
面白いのは、旨味を出してくれるカビ、”しらとりさん”と名前が付いているそうです。
「へしこ」がうまいのは”しらとりさん”のおかげというわけです。



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「海の宝石」とも「グリーンキャビア」ともいわれる海ぶどうですが、
沖縄県恩納村のご当地グルメ「海ぶどう丼」は、メディアで紹介され、有名B級グルメの仲間入りを果たしました。

しかしこの海ぶどう、養殖に成功するまでには、5年もの月日がかかったそうです。

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沖縄といえば、有名なのはモズク。
モズクの養殖は盛んだったそうですが、海の中での長時間労働が強いられ、大変な重労働なのだそうです。
(「あまちゃん」でも、簡単には海の中に潜れなかったので、海中作業というのは、かなり体力を使うのかもしれません。)

歳を重ねた人たちでも作業ができるように、陸の上で養殖できるものはないか、
そう思い立った男が海ぶどうに出会い、平成元年から陸上養殖に取り組み始めました。

当時、海ぶどうはメジャーではありませんでした。
そんな中、養殖に取り組もうとした勇気に乾杯です。(多分、周りからはいろんなことを言われたと思います。)

ところがこの海ぶどう、
光合成する生き物なんで、光の量が多すぎても少なすぎてもダメ、お天気に合わせて光量の調節が必要で、
しかも陸の上だから栄養不足になるから、チッソやリンなどの肥料を与え、
一日でも面倒を見ない日があると、成長にムラが出るという、なんとも手間のかかる厄介なもの。

試行錯誤の上、5年をかけてようやく養殖の一連のプロセスを確立しました。
しかしまだ問題が…

単細胞でできている海ぶどうは、収穫した時、切り口からヌメリが出て、そのままだと数時間で死んでしまうんだそうです。
そこで3日かけて海水の中で傷口を癒してやり、これでやっと商品に、
と思いきや、
難敵海ぶどう、熱に弱く、冷蔵保存しても萎んでしまうという、きわめて扱いにくい食材でした。

これでは飲食店も二の足を踏みますが、養殖に賛同して取り組んできた地元の人たちの努力で、ようやくホテルでお土産といして扱ってもらえることになりました。
すると徐々に名前が知れ、人気ご当地グルメになりました。(よかったよかった。

そして農林水産祭(といものがあるんだそうです。)、水産部門で、なんと天皇杯受賞、お上からもお墨付きを頂き、沖縄を代表する食材の一つに認められました。

いろんなメディアでも紹介され、「海ぶどう丼」は大スターになって、国内外からこれを目的に人が訪れるようになりました。

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ゆで卵の中で、黄味と白味が逆なっている不思議な卵料理、「黄味返し卵」。
記載されている「万宝料理秘密箱」の方法では、作ることができません。

でも、当時はできたんです。だから載っているんです。

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実は、江戸時代の卵は有精卵。現在売られている卵は無精卵。
この違いが、できるできないの差だったんです。

有精卵は、成長の過程で、黄味が周りの栄養を吸い取って、だんだん大きくなるんだそうです。
白味は水分を取られて小さく堅くなる。

糠味噌に浸けておくと、糠の発酵温度が38度で、ちょうど親鳥と同じなんだそうで、卵が成長します。
黄味が大きくなった状態で、針を刺して黄味を割ると、白味が黄味の中で浮遊している状態になります。

そのまま茹でると、「黄味返し卵」ができるわけです。

では、無精卵ではできないのか。
できるんです。考えた人がいます。暇なのか偉いのかよくわかりませんが、遊び心だけは十分持っています。
京都女子大の、八田一教授です。

教授の考えた方法は、

1)卵をストッキングに入れ、両端を手で持って高速で回す。
2)懐中電灯で透かして見て、卵が透けて見えなければ成功。
3)菜箸で転がしながら茹でる。

ただ、この方法で完璧に作るのは難しいそうです。

何年前になるのかも忘れてしまったんですが、この方法が発表されたときに、TVのニュースで報道され、再現実験もやったのを見てたんです。

江戸時代に、黄味と白味が逆のゆで卵を創ろうと思いついた人がいて、それを完成させ、本に載せ、200年近くたってそれを読んで再現させようとして、別な方法ではあっても再現に成功した人がいる。

なんとも愉快な話はありませんか。

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

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江戸後期に「万宝料理秘密箱」という料理本があります。
卵の部は通称「卵百珍」、103種類の卵料理が載っています。
この中に、驚きの卵料理があります。
「黄味返し卵」―ゆで卵にすると、白身と黄身が逆になっている、つまり、黄味の中に白味がある卵なんです!

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「黄味返し卵」は幻の料理といわれています。
めったにお目にかかれない料理、というわけです。

本に書かれた作り方を見ると、

1)新しい卵を糠味噌へ3日ほど浸けておく。
2)針で頭に穴をあけ、茹でる。

これだけです。

しかしこれでは絶対にできません。幻の卵料理といわれる所以です。

卵の黄味と白味の分量は、1:2になっています。
「黄身返し卵」を作るには、黄味が白味より多くならなければならないんだそうです。

だったら、本には嘘が書かれていたのか。
いえ、江戸時代にはできたんです。現代だからできなんです。

なぜ?

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

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江戸時代も中ごろの宝暦年間(1751~1763)にもなると、食は上方ではなく江戸、といわれるほど、食文化が発展したそうです。

現代のどこぞの国と同じように、レシピ本が続々と出版されるようになりました。

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天明2年、「豆腐百珍」という本が刊行されました。なんと、豆腐料理が100種類。
これが売れたもんだから『百珍』ものが次々と出ました。
「大根百珍」、「甘藷百珍」etc。

それらの中で、究極のグルメ本が、「料理珍味集」(作者不明)だそうです。

なにせ、紙まで食べちゃお、というものです。

紙で作る料理名を、”目くり餅”というんだそうです。
和紙は、コウゾの皮をたたいて伸ばし、もち米を加えて作るんだそうで、もち米が入ってるんだから、食えないわけがない、という乱暴な料理です。

江戸っ子は、食えるものなら何でも食べます、ただしコタツはいけません、あれは当たるものから。
落語ネタです。失礼しました。

”目くり餅”の材料は浮世絵などに使われた奉書紙というものだそうで、紙は貴重だったので使い回ししたわけです。

作り方:
奉書紙を3日間水に浸ける。
線維が溶けやすくなり、紙についた墨なども流れ落ちる。
紙をちぎって細かくし、葛を混ぜてこね、餅にする。
出来上がった団子を味噌汁で煮る、
んだそうです。

再現したものをスタジオでMCさんが試食しましたが、一口でギブアップでした。

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

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『謎解き 江戸のすすめ』から、江戸グルメの続き。

江戸で人気だったスイーツに、”みたらし団子”もあります。
おそらく、いま食べられているものとそんなに変わらないと思います。

みたらし団子は、京で人々の健康を祈って食べられていたものだそうです。
五体(頭、両手、両足)を表し、1串に5個団子が付いていて、5文(約95円)でした。

京のB級グルメがお江戸に来ると、5つから4つになったそうです。
理由はというと、江戸後期になると、4文銭ができ、それが貨幣の中心となり、
5文だとおつりが面倒、
そこで4文にして、団子も4つにしたということだそうです。

現代人と違い、5個のまま値段だけ下げようという発想は、江戸人にはなかったみたいです。

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ここからは番組を離れて、団子のウンチク。(学登社、『「食」の文化誌』より)

団子のもとは、奈良時代に伝わった糖菓子の一つで、団喜(米粉を丸め、茹でて、甘葛を塗ったもの)とされているそうです。
丸い形が基本のようですが、必ずしも丸とは限らなかったみたいです。

近世になると、団子の名物専門店が各地にでき、その中でも著名だったのが、「御手洗(みたらし)団子」でした。
京都下鴨神社の水無月祓えのとき、境内で売られていて、山城の名産、とものの本にあるそうです。

社家の人がお公家さんに献じ、また水無月祓えの参詣者のために設営された茶店の名物だったようです。
当時のもののは、残された狂歌などから類推すると、どうも味噌ダレだったようです。

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お買い得な訳ありフード専門のショップ。
満腹感いっぱいで、お財布にやさしい”おいしさ”をどうぞ。
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再び、ふたたびBSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』から。

お江戸のスイーツの中でも大ヒットしたのが、大福だそうです。
大福は大好きで、漉し餡よりも潰し餡の方が好きなんですが、好みにはそれぞれ言い分があるでしょうからこれだけにしときます。

明和8年といいますから、西暦では1771年冬のこと。
小石川にお玉という女性がいました。

この女性にひらめきが降りてきました。
人気の餅の中に甘い餡を入れたら、売れるに違いない。
それまで塩餡やうぐいす餡はあったのですが、甘い餡はなかったそうです。

お玉さんはこれに大福餅という縁起のいい名前を付け、かごの中に火鉢を入れ、アツアツに焼いて売りました。
これが寒いお江戸で大ヒット! 大福の大ブームになったそうです。

註1.お江戸が今より寒かったのは間違いありません。
ましてや、着るものも粗末で、毛糸の靴下やブーツなんてものもありませんから、かなりきつかったと思います。

註2.今は技術がよくなって、大福の餅は柔らかさを長らく維持してますが、昔は時間がたつと固くなったものです。
硬くなった大福を、母親がよく網で焼いてくれたものですが、
お焦げがつくくらい焼くと、餅がパリパリになって、それはそれで、またうまいものでした…
(こんな話、同年代の人と飲み屋でやったら、盛り上がるだろうなぁ。)

ヒットの理由はもう一つあるそうです。
大福は、餅は炭水化物、餡の小豆に含まれるビタミンB1と相まって、即効性の高いカロリー源なんだそうです。
寒い江戸に、焼いた大福はぴったりのスイーツだった訳です。
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ふたたび「BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』から。

番組によると、江戸はスイーツ天国、しかも女性より男性の方が甘いもの好きだった、とのことです。

肉体労働者が圧倒的に多かったので、仕事の合間に歩きながらでも栄養補給する必要があったからではないか、という理由です。

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8代将軍の吉宗は、サトウキビの栽培を奨励したんだそうです。
それまでは外国からの輸入に頼っていたのですが、このことによって国産砂糖の生産量が増加、砂糖が入手しやすくしなったこととも関係しています。

餅菓子は神様が宿る特別な食べ物として、古くから食べられていたんだそうですが、
江戸時代になると年中行事などにも餅菓子を作って祝うことが一般的になったそうです。

それに合わせてさまざまな餅菓子が作られるようになり、名物菓子も増えました。

今でもよく食べるさくら餅は、そんな一つだそうです。
あるお寺が、落ち葉を再利用できないかと考え、塩漬けにした桜の葉で桜色のあんこ餅を包んだのが始まりということです。

さくら餅ですが、包んである葉っぱは取って、餅だけ食べる人がいるんですが、もったいない話です。
あれは葉っぱごと一緒に食べたほうがおいしいんです。
塩味の葉っぱが餡の甘さを引き立たせてくれるんで、それまで餅だけ食べていた知人に教えたら、おいしさに驚いて、以来、ずーっと葉っぱと一緒に食べてます。(これ、ホントの話。)

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TVのニュースで、今年はマツタケの当たり年で、お値段も例年の3割安、何て言ってましたが、
毎週欠かさず見ている、BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』で、ちょっと前、江戸のグルメ特集があり、マツタケの話もやってました。

面白かったんで紹介すると、
「匂いマツタケ、味シメジ」という言葉があり、お江戸ではマツタケより、シメジやシイタケのほうが好まれていたんだそうです。

ところは実は、マツタケなんかよりシメジの方がうまいに決まってらぁ、という気風の良さというより、
薫り高い新鮮なマツタケは、食いたくても食えなかったという、江戸っ子の負けん気と痩せ我慢から出た言葉かも知れないとのことです。

それが証拠に、
将軍様は、上野の国太田(現群馬県太田市)にマツタケ用の直轄林を持っていて、
寛永6年(1629年)頃から、上納松茸として、
約100kmの距離を、香りが飛ばないうちにと、大急ぎで江戸城まで運ばせたそうなんです。
なんでも、午前9時ごろ出て、翌朝の5時には江戸城に届いた、という記録も残っているんだそうで…

約20時間ということは、時速5kで走り抜けたわけです。
1人で運んだんじゃないでしょうが、山り谷あり、平坦な道ばかりのはずがないんで、スゴィ!
(オリンピックのトップマラソン選手は時速20k近くで走っているんですが、ほとんど平坦な場所ですから、単純比較はやめましょう。)

要するに、マツタケは将軍様くらいにしか口にできなかった高級食材だった、ということです。

ちなみに、群馬県太田市は、B級グルメ「上州太田焼きそば」で有名なとこです。
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山形県の港町、酒田市。
昔は庄内地方と呼ばれていましたが、ここに庄内麩と呼ばれるものがあります。
板状になっているので、板麩とも呼ばれます。

作り方は、鉄の棒に巻きつけて焼くまでは同じですが、そのあと蒸して柔らかくし、一本一本板状に伸ばしてから、機械で薄くします。

北前船で運びやすくするために板状になったといわれていますが、水に戻さず、そのまま割いて使うので、使い勝手はよさそうです。

そのほかにも、日本各地に独自の麩があります。

宮城県、仙台の「油麩」。
新潟県の「まんじゅう麩」。まんじゅうのように丸い形をしています。
京都の「丁字麩」。箱の形をした焼き麩です。
山口に行くと、「安平麩」。シュウ-クリームみたいな形。
石川にはすだれ模様の生麩、「すだれ麩」などがあります。
かすかな記憶なんですが、福島県の会津でも麩を焼いていた映像を覚えていますから、
まだまだ各地に麩の文化は残っているんだなぁ、と日本の奥深さをじんわり感じてしまう、秋の夜更けです。


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山形県東根市の六田区は「麩」が特産ですが、
麩を作るのには大量の水が必要となり、
またその水質が、麩の味を左右するのだそうです。

奥羽山脈からもたらされる水の恵みは、市内の小見川を流れ、
一年を通して13℃で一定の軟水は、国の名水百選の一つにも選ばれています。
(軟水について知りたい人は、こちらへ)

豊富な名水が麩作りに欠かせなかったことと、もう一つ麩作りりに欠かせない小麦、
なぜこの地に小麦が栽培されるようになったのか、意外なものがかかわっていました。
ベニ花です。

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山形は江戸時代、ベニ花の一大産地でした。
ベニ花は京のきれいなお姉さんの口元を彩るベニや、着物の染料として大変貴重なものでした。
芭蕉の句にも、「まゆはきを 俤(おもかげ)にして 紅粉(べに)の花」というのがあるんだそうです。

山形はその大部分を供給していたんですが、
このベニ花作りが麩作りと大いに関連していたんです。

ベニ花は、植え続けていると、連作障害を起こしやすい植物だそうです。
連作障害というのは、毎年同じ作物を同じ場所で作り続けると、病気になりやすくなることを言います。

そこでベニ花と小麦を交互に植えていたので、麩の原料である小麦が取れたというわけです。
肉食を禁じられていた江戸時代、麩は貴重なタンパク源でもあったわけです。

*ABS朝日「日本食紀行」より


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山形県東根市の六田地区は、庭から湧水が出ている家がいくつもあるほど、豊富な伏流水の恵みを受けた土地です。

この良質で豊かな水が、ご当地グルメ、六田麩には必要欠くべからざるものでした。

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麩を作るのは大変です。

小麦粉を水でこね、大量の水で、何度も何度も洗う作業を繰り返します。
水の濁りが無くなるまで洗うと、小麦粉のデンプンが洗い流され、タンパク質のグルテンが残ります。
量は半分ほどになってしまいます。

このグルテンが麩の原料です。
グルテンだけでは堅いガムみたいなので、生地を伸ばすために小麦粉を加え、
均一になるように生地を引き延ばしながら鉄の棒にまきつけ、焼き上げて麩が完成です。

普通の麩はグルテンより小麦粉を多く加えますが、六田麩は小麦の倍の量のグルテンを使います。
そのことによってコシの強い、煮ても崩れないしっかりした食感の麩になります。

タンパク質が貴重だった時代、良質のタンパク質で、保存のきく麩は、お客様が来た時くらいにしか出せなかった高級品だったそうです。

旅行者には、コシのしっかりした六田麩を食べて、肉だと勘違いする人もいるそうで、
食べたあと麩ときかされてびっくり、帰りには麩がお土産に加えられています。
当然ですね。

高タンパクで低カロリー、保存がきいて、どんな料理にも相性のいい六田麩は、理想のダイエット食品。
ダイエットと食欲のはざまで苦しんでいる貴女、おすすめです。

地元では、この六田麩を使った料理がいくつもありますから、
探せば、特級品のB級グルメ(A級じゃないからB級というんで、こういうのを、形容矛盾といいます。)がいくつも見つかりそうです。

*ABS朝日「日本食紀行」より

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山形県東根市の六田地区に『六田麩街道』というのがあるんだそうです。
街道沿いにお麩屋さんが5軒もあり、全国的にも珍しいとのことです。
確かに、街道を行くとお麩屋さんが5軒というのは、めったに見れるものではありません。

中には創業150年なんて老舗もあるそうです。

何とか街道というのは、全国に結構ありそうです。
有名な滋賀県の「鯖街道」、最近知ったのですが、長崎街道を別名「砂糖街道(シュガーロード)」というんだそうです。
ほかにどんなものがあるか、いつか調べてみようと思っています。

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六田麩は、とにかく腰が強く、煮ても崩れないことが特徴です。
見た目はフランスパン、スーパーで売っているようなものとは違い、
食感もしかりしていて、地元では味噌汁、肉じゃが、すき焼きと、どんな料理にも入れます。
ついには麩の懐石料理を作る店まで出しちゃった人がいます。

これだけ全国に誇れるご当地グルメを、もっと知ってもらいたいということです。
そして町おこし、そうなれば立派なB級グルメです。

麩は、生地を引き延ばしながら、2m近い鉄の棒に巻き付けて焼きます。
その時の力加減、厚さを均一にすること、これによって麩の味が決まるんだそうです。
そのうえ、季節や湿度にも注意を払います。

多分、作り方はほかの地方でもそんなに変わらないと思いますが、なんといっても六田麩は生地が違います。
原料のグルテンを、めちゃ多く入れます。
それが六田麩のコシの強さを生み出しています。

*BS朝日「日本食紀行」より

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BS朝日の「歴史発見 城下町へ行こう」で岩手の盛岡編を見ました。

食べ物の話の前に、岩手の名の起こりが面白かったので紹介しますと、
なぜか巨石伝説が多いんだそうで、烏帽子岩、石割けやき、天満宮の石割梅、そして有名な天然記念物石割桜、といったように巨石が多く残っています。

3つの大岩を祭った三ッ石神社の伝説によると、
昔民を苦しめていた鬼がいて、三ッ石の神様がこの鬼を岩に縛り付けて懲らしめました。
鬼は二度と悪さをしませんという誓いを立て、三ッ石に手形を残してこの地を去りました。
岩に鬼の手形。⇒岩手、とのことだそうです。

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岩手で有名なのが「わんこそば」。
「わんこそば」をB級グルメといっていいのかどうか、ちょっと悩みますが、ご当地グルメであることに、異存のある人はいないと思います。

南部藩2代目藩主の南部利直が参勤交代で江戸に向かう途中、花巻名物のそばを食べて、そばの椀を何度もお代わりしたことが起源とされているそうです。

もともと南部地方の地主さんたちには、「そば振る舞い」といって、冠婚葬祭などで、一口サイズの椀に入れたそばを腹いっぱいになるまで振る舞うという風習があったそうです。
米が育ちにくい南部では、そばが最高のもてなしでした。

これらが現代の岩手の名物、「わんこそば」に引き継がれているわけです。

そばといえば江戸っ子ということになりますが、落語家の古今亭志ん朝さんが、あるラジオの番組で、そばについての作法はいろいろ言われているが、一番お行儀のいい食べ方は、最後の一本のかけらまで残さず食べることだと、父の志ん生から教わった、と語ったことがあるんだそうです。
1、2本残ったそばを箸ですくうのは難しいのでは、と尋ねると、こうすりゃいいんだと、箸を笊(ざる)にまっすぐに立てて使って見せたとのことです。

粋な江戸っ子は、最後の一本までそばを粗末にしない、ということでしょう。


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BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』から、江戸の人たちがまぐろを好まなかったことを知りましたが、もう一つ、脂ののった魚といえば、今が旬のサンマです。

庶民の魚として親しまれていますが、なんと、江戸時代には敬遠されていたそうです。

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サンマは下魚にして、食するものなし、と言われ、
おもに行燈などの燃料として獲られていたんだそうです。

トロといい、サンマといい、なぜ江戸の人たちは脂っこいものを食べないのか。
番組によると、
江戸時代の人は淡白な食事に慣れていたので、胃が脂を消化するのに時間がかかったから脂の多いものを避けた、と説明していました。

なるほど。

江戸時代、4つ足の肉は食べなかったし、油は貴重品でしたから食用に使うことはめったになく、さぞや脂っ気の少ない食事だったことと思われます。

ちなみに、江戸時代、油は量り売りでした。あの粘性の高いものを器から器へチンタラ移していたところから生まれた言葉が、「油を売る」です。
(ブログを書いていると、ついついTVをつけてしまいます。しまいにはTVのほうへ気が移ってしまいます。油を売ってないでブログを書こう。)

江戸の人たちがサンマを食べるようになったのは、度重なる火事や人口の増加によって食糧不足が起き、食べざるを得ない状況になったからだそうです。
とはいえ、脂の多いサンマをどうやったらうまく食えるか。
そこで思いつたのが天ぷら。

サンマを天ぷらにしていただこうというのではありません、余計脂っこくなっちゃいます。
当時、天ぷらには大根おろしが付いてきたんだそうです。
大根には油を分解し、消化を助ける酵素が多いので、ベストの組み合わせです。

今でこそ天ぷらに大根おろしはあまり聞きませんが(天ぷらのつけ汁に大根おろしをいれる所もあるから、そうでもないのかも知れませんが)、”サンマに大根おろし文化” は見事に現代まで引き継がれています。

先日、目黒で「さんま祭り」が開かれました。
これは勿論、落語の『目黒のさんま』に由来したものです。
脂ののったサンマが恋しくて、殿様が「さんまは目黒に限る」とつぶやくのが落ちですが、
ウィキペディアによると、この名作落語の創られた時期は不明とのこと。
江戸の終わりの頃か明治初期(今に伝わる古典落語も、この時期にできたものが多い)にできた話かもしれません。

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海の幸グルメ通販市場―全国の有名店や特産品を厳選、おいしさと満足感を産地直送でお届けする専門店です。

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BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』という番組は、いつも見てます。
この間、「江戸のグルメ」の特集がありました。

とにかく江戸時代はグルメブーム、
B級グルメやA級グルメが数多く生まれ、
いまの日本人が愛してやまない料理の多くは、江戸時代にその原型ができています。

背景には、元禄以降の人口の増加、
大都市江戸への地方からの流入があったようですが、
お江戸の胃袋、日本橋の魚河岸(江戸時代は、日本橋にありました。)では一日に千両(今だと約1億円)動くといわれたそうです。

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2013年、日本人の好きな寿司ネタランキングは、

     男性       女性
1位 まぐろ中トロ   サーモン 
2位 まぐろ赤身    まぐろ中トロ 
3位 サーモン     甘海老
4位 まぐろ大トロ   まぐろ赤身
5位 イカ        イクラ

まぐろはともに上位に食い込んでいますが、
江戸時代はヒラメやタイなどの白身の魚のほうが格上で、
まぐろはむしろ邪魔者だったそうです。
大量に獲れると田畑の肥料にし、それでも余るとその辺に捨てました。

”江戸の道 肉林になる まぐろ漁” 
なんて川柳も残ってているそうで…

江戸中期、まぐろは房総沖で獲れたそうですが、流通経路や保存方法が未発達で、
江戸に来たときは鮮度が落ち、煮るか焼くか味噌汁の具にするくらいしか使いようがなかったそうです。

特にトロは脂っこいので、猫ですら見向きもしなったとかで、⇒ 猫跨ぎ、と呼ばれていたそうです。

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長崎県平戸市、
ここには普通鉄道では、日本最西端の駅があります。

大陸に近く、お江戸の将軍様から遠かったので、平戸は異国情緒にあふれ、幕末の吉田松陰が訪れたとき、その風景の違いにエライ驚いた、という話をどこかで読んだ記憶があるんですが、どの本か思い出せず、確認がとれません。
記憶違いかもしれないので、読まなかったことにしてください。

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平戸のご当地グルメは、「あごの干物」、「焼きあご」、「あごのかまぼこ」。
ということで、あご。

あごとは20㎝位の大きさのトビウオのこと。大きいものは「しわご」と呼ぶそうです。

飛魚といえば、さだまさしにそんな題名の歌があったような…
違った、「飛梅」でした。(o^∇^o)ノ

「あごのかまぼこ」は、農作業中でも食べられるように、麦わたに巻いたすぼ巻きになっています。
なんと、平戸でも、作っているところは一軒しかないそうです。

「焼きあご」は高級だしとして有名ですが、内臓を取らずに焼くため、腹のほうからじっくり焼かなければならず、大変な作業みたいです。

高級品ですが、鰹節とあごの削り節を混ぜたものなら、スーパーでも手に入るはずです。

平戸でどうしても食べたいB級グルメは、あごだしラーメン。
焼きあごをたっぷり使ってダシを取り、豊かな風味を生かすため、しょう油は少なめ。
中華そば風ですが、ダシが違います。
透明で上品なかおりのスープは、スーッと抵抗なく喉を通り、郷愁を誘う豊かな風味が広がって行き、関東の旅行者には喜ばれるそうです。

食べたみたいな風のことを言ってますが、食べた案内人が言ったんで、オレは食べてない!
平戸にいったら、絶対食べてやる!

といっても、平戸でアゴだしラーメンをつくっているのは2軒だけとか、
絶滅危惧種なので、なんとかご当地グルメとしてずっ~と残して欲しいものです。

*BSジャパン 「にっぽん 原風景紀行」より

あご入りのダシが欲しい人は⇒万能和風だし 味わい膳 あご入り 【20包入り×5袋セット】

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愛知県三河湾はアサリの生産日本一だそうです。
豊川と矢作川からミネラル豊富な水と、良質の砂が流れ込み、
有名料理店では身を使った料理からダシ取りまで利用するので、
東京の築地市場でも特別扱いだそうです。

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三河湾は植物プランクトンが多く、アサリが育ちやすい環境で、
三河湾の真ん中あたりにある梶島周辺は特に多いんだそうです。
しかも流れが速く、身の引き締まったアサリが取れるそうです。
味に深みとコクがあり、調味料不要で、すまし汁や酒蒸しなど、アサリそのものを味わう料理がお勧めだとか。
値段もほかのアサリの2.5倍もするんだそうですが、
値段が高くても、リピーターが絶えないそうです。

三河湾は知多半島と渥美半島に囲まれた袋状になっていて、
貝の赤ちゃんが外海に出にくくなっているので、アサリがよく取れるんだそうです。

特に県によって管理されている豊橋市六条潟は奇跡の干潟といわれるほどで、多くの稚貝が発生する貴重な場所だそうです。

三河湾の北部にある半田市亀崎地区には、
お祭りのときしか食べないご当地グルメ、串アサリ(アサリの干物)があります。

なぜお祭りのときだけかというと、
明治時代からずっと食べられていたんですが、
昭和34年の伊勢湾台風で被害を受け、アサリが取れなくなってしまいました。
お祭りは再開されましたが、アサリはとれないまま。
せめてお祭りの時だけでも食べたい、と、
以来その風習が続いているそうです。

この串アサリは、炙ったりテンプラにしていただくと、絶品だそうです。
一年に一度しか食べられないご当地グルメ、非常に珍しいB級グルメです。

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海の幸を産地直送でお届けする、
海のグルメ専門ショップです。

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秋田県で有名な食べ物といえば、もちろん ”きりたんぽ” ですが、
もう一つ、名産鰰(ハタハタ)を入れた ”しょっつる鍋” があります。

実は秋田県では、鍋は冬だけのもではなく、一年中食べるんだそうです。

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しょっつる鍋は、ハタハタだけでなく、どんな具をいれてもしょっつる鍋といいます。
”しょっつる” を漢字で書くと、塩魚汁。
魚を塩をつけて作る出し、つまり魚醤のこと。
もうお分かりのように、しょっつるを使った鍋は、すべてしょっつる鍋になります。

このしょっつるは、秋田ではスーパーで普通に売られています。
もっとも最近では、ナンプラーなどの魚醤系の調味料もスーパーで手に入るようになりましたが…

秋田では鍋料理のことを「かやき」というそうです。
「かやき」とは貝のこと。
そして秋田の人は、My「かやき」を持っているそうです。

なぜ鍋のことを「かやき」と呼ぶかというと、
漁師がホタテの貝を鍋の代わりに使ったことが由来だとか。

江戸時代、秋田藩では、元服すると自分用の ”かやき” が与えられたそうです。
自分で食べなさいという、独立の心を表しているのかもしれません。

漁師文化から始まったこの ”かやき”、
秋田藩ではいつしか武士のたしなみになり、自分専用の ”かやき” を持てることが立派な武士の証になったそうです。

佐竹家に伝わる宝の一つに、銀製の ”かやき” がありますが、
大小2つあって、めおと(夫婦)になっています。
あんがい、男だけのものとは限らなかったのかもしれません。

秋田県は「横手焼きそば」が有名ですが、新しいB級グルメ作りに挑戦しました。しかもスイーツです。
内容を知りたい方はこちらへ。


*BS朝日 「歴史発見 城下町へ行こう」より


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