ご当地グルメうまいもの情報/B級グルメから調味料まで

うまいものを食べると、なぜか幸せになります。 うまいものが大好きな人のために、ご当地グルメや特産品、人気の食品や話題の商品など、 うまい食べ物の情報を紹介するブログです。

グルメ

BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』によると、
平安時代、貴族たちの間で「松茸狩り」が行われていたそうです。
江戸時代になると、関西の庶民の間で「松茸狩り」が行われ、採ったその場で鍋に入れて香を楽しんでいたそうです。

なぜ関西かというと、
松茸はほかのキノコに比べて、生存競争に弱いかららしいのです。
つまり、ほかのキノコや菌類が育ちにくいような養分の少ない貧弱な土壌じゃないと、松茸は仲間を増やせない。

松茸は赤松の木の根元だけに育ちますが、上方には赤松が多く、松茸が育つ環境が整っていたんだそうです。

なぜ西日本に赤松が多いのか。

西日本は水田が発達していて、昔はその肥料に山から落ち葉を取ってきて使ったんだそうです。
落ち葉を持って行かれると、山は栄養が足りなくなって痩せてきます。
痩せてくると、赤松くらいしか育たなくなる。
したがって赤松が増え、その結果松茸がよく採れるようになる、とまあ、三段論法的にこうなるわけです。
(ん? これでいいのかな? 使いなれない言葉を使って、恥かいてんのかもしんない。)

お江戸の近くは手つかずの雑木林が多くて、赤松が繁殖しにくかったわけで、
それでも全くないことはなかったんですが、江戸まで運こぶのに数か月かかり、届いたころにはもう香りがほとんど飛んじゃっていた。

松茸の特徴が、半減していたわけで、松茸本来の魅力が味わえなかった、
だから、まつたけなんぞより、シメジの方がよっぽどうめぇ、ということになったんですね。

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TVのニュースで、今年はマツタケの当たり年で、お値段も例年の3割安、何て言ってましたが、
毎週欠かさず見ている、BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』で、ちょっと前、江戸のグルメ特集があり、マツタケの話もやってました。

面白かったんで紹介すると、
「匂いマツタケ、味シメジ」という言葉があり、お江戸ではマツタケより、シメジやシイタケのほうが好まれていたんだそうです。

ところは実は、マツタケなんかよりシメジの方がうまいに決まってらぁ、という気風の良さというより、
薫り高い新鮮なマツタケは、食いたくても食えなかったという、江戸っ子の負けん気と痩せ我慢から出た言葉かも知れないとのことです。

それが証拠に、
将軍様は、上野の国太田(現群馬県太田市)にマツタケ用の直轄林を持っていて、
寛永6年(1629年)頃から、上納松茸として、
約100kmの距離を、香りが飛ばないうちにと、大急ぎで江戸城まで運ばせたそうなんです。
なんでも、午前9時ごろ出て、翌朝の5時には江戸城に届いた、という記録も残っているんだそうで…

約20時間ということは、時速5kで走り抜けたわけです。
1人で運んだんじゃないでしょうが、山り谷あり、平坦な道ばかりのはずがないんで、スゴィ!
(オリンピックのトップマラソン選手は時速20k近くで走っているんですが、ほとんど平坦な場所ですから、単純比較はやめましょう。)

要するに、マツタケは将軍様くらいにしか口にできなかった高級食材だった、ということです。

ちなみに、群馬県太田市は、B級グルメ「上州太田焼きそば」で有名なとこです。
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BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』から、江戸の人たちがまぐろを好まなかったことを知りましたが、もう一つ、脂ののった魚といえば、今が旬のサンマです。

庶民の魚として親しまれていますが、なんと、江戸時代には敬遠されていたそうです。

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サンマは下魚にして、食するものなし、と言われ、
おもに行燈などの燃料として獲られていたんだそうです。

トロといい、サンマといい、なぜ江戸の人たちは脂っこいものを食べないのか。
番組によると、
江戸時代の人は淡白な食事に慣れていたので、胃が脂を消化するのに時間がかかったから脂の多いものを避けた、と説明していました。

なるほど。

江戸時代、4つ足の肉は食べなかったし、油は貴重品でしたから食用に使うことはめったになく、さぞや脂っ気の少ない食事だったことと思われます。

ちなみに、江戸時代、油は量り売りでした。あの粘性の高いものを器から器へチンタラ移していたところから生まれた言葉が、「油を売る」です。
(ブログを書いていると、ついついTVをつけてしまいます。しまいにはTVのほうへ気が移ってしまいます。油を売ってないでブログを書こう。)

江戸の人たちがサンマを食べるようになったのは、度重なる火事や人口の増加によって食糧不足が起き、食べざるを得ない状況になったからだそうです。
とはいえ、脂の多いサンマをどうやったらうまく食えるか。
そこで思いつたのが天ぷら。

サンマを天ぷらにしていただこうというのではありません、余計脂っこくなっちゃいます。
当時、天ぷらには大根おろしが付いてきたんだそうです。
大根には油を分解し、消化を助ける酵素が多いので、ベストの組み合わせです。

今でこそ天ぷらに大根おろしはあまり聞きませんが(天ぷらのつけ汁に大根おろしをいれる所もあるから、そうでもないのかも知れませんが)、”サンマに大根おろし文化” は見事に現代まで引き継がれています。

先日、目黒で「さんま祭り」が開かれました。
これは勿論、落語の『目黒のさんま』に由来したものです。
脂ののったサンマが恋しくて、殿様が「さんまは目黒に限る」とつぶやくのが落ちですが、
ウィキペディアによると、この名作落語の創られた時期は不明とのこと。
江戸の終わりの頃か明治初期(今に伝わる古典落語も、この時期にできたものが多い)にできた話かもしれません。

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BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』という番組は、いつも見てます。
この間、「江戸のグルメ」の特集がありました。

とにかく江戸時代はグルメブーム、
B級グルメやA級グルメが数多く生まれ、
いまの日本人が愛してやまない料理の多くは、江戸時代にその原型ができています。

背景には、元禄以降の人口の増加、
大都市江戸への地方からの流入があったようですが、
お江戸の胃袋、日本橋の魚河岸(江戸時代は、日本橋にありました。)では一日に千両(今だと約1億円)動くといわれたそうです。

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2013年、日本人の好きな寿司ネタランキングは、

     男性       女性
1位 まぐろ中トロ   サーモン 
2位 まぐろ赤身    まぐろ中トロ 
3位 サーモン     甘海老
4位 まぐろ大トロ   まぐろ赤身
5位 イカ        イクラ

まぐろはともに上位に食い込んでいますが、
江戸時代はヒラメやタイなどの白身の魚のほうが格上で、
まぐろはむしろ邪魔者だったそうです。
大量に獲れると田畑の肥料にし、それでも余るとその辺に捨てました。

”江戸の道 肉林になる まぐろ漁” 
なんて川柳も残ってているそうで…

江戸中期、まぐろは房総沖で獲れたそうですが、流通経路や保存方法が未発達で、
江戸に来たときは鮮度が落ち、煮るか焼くか味噌汁の具にするくらいしか使いようがなかったそうです。

特にトロは脂っこいので、猫ですら見向きもしなったとかで、⇒ 猫跨ぎ、と呼ばれていたそうです。

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