ご当地グルメうまいもの情報/B級グルメから調味料まで

うまいものを食べると、なぜか幸せになります。 うまいものが大好きな人のために、ご当地グルメや特産品、人気の食品や話題の商品など、 うまい食べ物の情報を紹介するブログです。

沖縄の名産品「海ぶどう」は、「海の宝石」とも、グリーンキャビアとも呼ばれているんだそうです。
恩納村のあるお店が、この海ぶどうを丼ぶりにして、B級グルメとして、日本全国ばかりでなく、海外からも食べに来るそうです。

もっとも、海外といっても、台湾の人が多いみたいですが… 
(台湾、近いから。)(憎まれ口、終了。

酢飯の上に、相性のいいウニと山芋とイクラを豪勢に盛って、レモンポン酢でいただくんだそうです。

これが後を引いて、リピーターになっちゃうらしいです。

まぁ、食べるのは簡単なんでしょうが、この、ご当地グルメとして簡単に食べられるようになるまでが、大変な苦労だったと、ABS朝日の「日本食紀行」で紹介されました。

なにせ、海の中で育つものですから、護岸工事による水質の変化や、台風による被害など、
1980年代後半に試みられた海中養殖はことごとく失敗だったそうです。

生ものだけに流通せず、せっかくの珍味が宮古島の一部でしか食べられていなかったそうです。(もったいない…)

なんとか海ぶどうをご当地の特産品として、全国に売り出したい、高齢になって海に潜れなくなった人たちでも働けるよう、陸上で養殖したい、と立ち上がった男がいました。

海ぶどうは非常に繊細で、養殖が困難なものなんだそうです。
ご多分に漏れず、初めのうちはアホだの変人だのと、いろいろ言われたみたいです。
成功したら偉い人。世間なんて、そんなもんです。
(今回、憎まれ口が多いみたいたいで… スンマセン)

いまや地元のホテルの人気お土産No1になりました。
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羊羹の原型は、今の姿とは似ても似つかない古代中国の羊肉の羹(あつもの)でした。

日本では、大名や公家の間に最高級のお菓子として伝わり、元禄時代には「御菓子之絵図」という商品カタログみたいなものまで作られていたそうです。
模様に工夫を凝らしたり、自然や、文化、干支、四季などを織り込んだりと、いかにも日本的なお菓子として親しまれてきたようです。

外はシャリッ、中は柔らかという羊羹の今の形は、江戸後期の佐賀県で生まれたそうです。

江戸時代、白砂糖は100%輸入品で、長崎から小倉まで砂糖を運ぶ長崎街道は、別名シュガーロード。
その中継地にある佐賀県は、昔から砂糖を多く使う文化があったそうです。

佐賀県小城市、ここはヨウカンの町とも呼ばれ、なんと2k圏内に伝統的な羊羹を売る店が21件もあるんだそうです。

実は小城市では、昭和27年ころから「小城ヨウカン」をブランド化しようという動きがあったそうです。
小城ヨウカンの特徴は表面に細い筋目が何本もあること。
これは製造の過程に、箒で表面をやさしく傷つける工程が含まれているためなんです。
こうして表面に傷をつけると、砂糖が浮き出て、1mmほどの層を作り、それが固まって表面だけが硬くなる、という繊細な技術で作られています。

伝統の味、一度は味わってみたいものです。

ちなみに、羊羹はカロリー栄養価共に高く、変質しにくいことから、備蓄用の保存食としても優れているそうです。
若田光一さんは宇宙まで持っていきました。羊羹なら、無重力も関係なく、地上と同じにいただけます。
先日、いい年をして(失礼)、最高齢でエベレストに登った三浦雄一郎さんは、健啖家としても知られていますが、羊羹大好き人間だそうで、エベレストにももっていたそうです。
地上よりはるか上で、白い雪渓の中で羊羹を丸かじりする豪快な姿は、想像するだけでも愉快です。

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全国のB級グルメがお取り寄せできる、便利なショップです。
ぜひご利用ください。
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NHKの「うまいッ!」という番組で、羊羹の特集がありました。

古くからあるスイーツだけに、各地の特産を活かしたさまざまな種類があります。
ご当地グルメ、オンパレード!

北海道では昆布、青森は当然りんご、千葉では蒸し栗、柿食えばぁ~の古都奈良では柿、変わったところでは山梨の竹炭、ん? 竹炭、どんなものなんでしょう。和歌山は梅(わかりやすいな~)、沖縄は紅イモ、などなど。

山口では夏ミカン、中身をくりぬいて作り、皮は砂糖浸けにして元の姿に戻すそうです。
山口の夏ミカン、関ヶ原の戦いで敗れた長州藩は、安芸広島120万石から萩の30万石に減俸、家臣の俸給も激減したため、庭に成り物を植えて生活の足しにした、という話がありますが、夏ミカンが特産なのもそういう理由?

特産ばかりでなく、他のものでアイデンティティを主張しているものもあります。
山梨では富士山の形、石川では三色羊羹(彩が特徴)。

まぁ、餡と寒天と砂糖を入れれば、羊羹になるわけで、なんでもありです。

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ヨウカンは、漢字で書くと羊羹。
ずーっと不思議に思っていたのは、ヨウカンと羊と、どういう関係があるのか、です。
漢字は表形文字ですから、必ず何らかの関係があるはずなんです。

その疑問を、番組が答えてくれました。

古代中国の羊の肉を使った羹(アツモノ)が起源なんだそうです。「羹に懲りて、膾(ナマス)を吹く」、というあれです。

この羹が鎌倉から室町にかけて日本の僧侶に伝わり、お坊さんは肉を食えないので、小豆になった、これが原型ということです。

なるほど、羊羹、羊と羹そのままです。
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ゆで卵の中で、黄味と白味が逆なっている不思議な卵料理、「黄味返し卵」。
記載されている「万宝料理秘密箱」の方法では、作ることができません。

でも、当時はできたんです。だから載っているんです。

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実は、江戸時代の卵は有精卵。現在売られている卵は無精卵。
この違いが、できるできないの差だったんです。

有精卵は、成長の過程で、黄味が周りの栄養を吸い取って、だんだん大きくなるんだそうです。
白味は水分を取られて小さく堅くなる。

糠味噌に浸けておくと、糠の発酵温度が38度で、ちょうど親鳥と同じなんだそうで、卵が成長します。
黄味が大きくなった状態で、針を刺して黄味を割ると、白味が黄味の中で浮遊している状態になります。

そのまま茹でると、「黄味返し卵」ができるわけです。

では、無精卵ではできないのか。
できるんです。考えた人がいます。暇なのか偉いのかよくわかりませんが、遊び心だけは十分持っています。
京都女子大の、八田一教授です。

教授の考えた方法は、

1)卵をストッキングに入れ、両端を手で持って高速で回す。
2)懐中電灯で透かして見て、卵が透けて見えなければ成功。
3)菜箸で転がしながら茹でる。

ただ、この方法で完璧に作るのは難しいそうです。

何年前になるのかも忘れてしまったんですが、この方法が発表されたときに、TVのニュースで報道され、再現実験もやったのを見てたんです。

江戸時代に、黄味と白味が逆のゆで卵を創ろうと思いついた人がいて、それを完成させ、本に載せ、200年近くたってそれを読んで再現させようとして、別な方法ではあっても再現に成功した人がいる。

なんとも愉快な話はありませんか。

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

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江戸後期に「万宝料理秘密箱」という料理本があります。
卵の部は通称「卵百珍」、103種類の卵料理が載っています。
この中に、驚きの卵料理があります。
「黄味返し卵」―ゆで卵にすると、白身と黄身が逆になっている、つまり、黄味の中に白味がある卵なんです!

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「黄味返し卵」は幻の料理といわれています。
めったにお目にかかれない料理、というわけです。

本に書かれた作り方を見ると、

1)新しい卵を糠味噌へ3日ほど浸けておく。
2)針で頭に穴をあけ、茹でる。

これだけです。

しかしこれでは絶対にできません。幻の卵料理といわれる所以です。

卵の黄味と白味の分量は、1:2になっています。
「黄身返し卵」を作るには、黄味が白味より多くならなければならないんだそうです。

だったら、本には嘘が書かれていたのか。
いえ、江戸時代にはできたんです。現代だからできなんです。

なぜ?

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

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江戸時代も中ごろの宝暦年間(1751~1763)にもなると、食は上方ではなく江戸、といわれるほど、食文化が発展したそうです。

現代のどこぞの国と同じように、レシピ本が続々と出版されるようになりました。

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天明2年、「豆腐百珍」という本が刊行されました。なんと、豆腐料理が100種類。
これが売れたもんだから『百珍』ものが次々と出ました。
「大根百珍」、「甘藷百珍」etc。

それらの中で、究極のグルメ本が、「料理珍味集」(作者不明)だそうです。

なにせ、紙まで食べちゃお、というものです。

紙で作る料理名を、”目くり餅”というんだそうです。
和紙は、コウゾの皮をたたいて伸ばし、もち米を加えて作るんだそうで、もち米が入ってるんだから、食えないわけがない、という乱暴な料理です。

江戸っ子は、食えるものなら何でも食べます、ただしコタツはいけません、あれは当たるものから。
落語ネタです。失礼しました。

”目くり餅”の材料は浮世絵などに使われた奉書紙というものだそうで、紙は貴重だったので使い回ししたわけです。

作り方:
奉書紙を3日間水に浸ける。
線維が溶けやすくなり、紙についた墨なども流れ落ちる。
紙をちぎって細かくし、葛を混ぜてこね、餅にする。
出来上がった団子を味噌汁で煮る、
んだそうです。

再現したものをスタジオでMCさんが試食しましたが、一口でギブアップでした。

*『謎解き 江戸のすすめ』より。

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『謎解き 江戸のすすめ』から、江戸グルメの続き。

江戸で人気だったスイーツに、”みたらし団子”もあります。
おそらく、いま食べられているものとそんなに変わらないと思います。

みたらし団子は、京で人々の健康を祈って食べられていたものだそうです。
五体(頭、両手、両足)を表し、1串に5個団子が付いていて、5文(約95円)でした。

京のB級グルメがお江戸に来ると、5つから4つになったそうです。
理由はというと、江戸後期になると、4文銭ができ、それが貨幣の中心となり、
5文だとおつりが面倒、
そこで4文にして、団子も4つにしたということだそうです。

現代人と違い、5個のまま値段だけ下げようという発想は、江戸人にはなかったみたいです。

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ここからは番組を離れて、団子のウンチク。(学登社、『「食」の文化誌』より)

団子のもとは、奈良時代に伝わった糖菓子の一つで、団喜(米粉を丸め、茹でて、甘葛を塗ったもの)とされているそうです。
丸い形が基本のようですが、必ずしも丸とは限らなかったみたいです。

近世になると、団子の名物専門店が各地にでき、その中でも著名だったのが、「御手洗(みたらし)団子」でした。
京都下鴨神社の水無月祓えのとき、境内で売られていて、山城の名産、とものの本にあるそうです。

社家の人がお公家さんに献じ、また水無月祓えの参詣者のために設営された茶店の名物だったようです。
当時のもののは、残された狂歌などから類推すると、どうも味噌ダレだったようです。

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再び、ふたたびBSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』から。

お江戸のスイーツの中でも大ヒットしたのが、大福だそうです。
大福は大好きで、漉し餡よりも潰し餡の方が好きなんですが、好みにはそれぞれ言い分があるでしょうからこれだけにしときます。

明和8年といいますから、西暦では1771年冬のこと。
小石川にお玉という女性がいました。

この女性にひらめきが降りてきました。
人気の餅の中に甘い餡を入れたら、売れるに違いない。
それまで塩餡やうぐいす餡はあったのですが、甘い餡はなかったそうです。

お玉さんはこれに大福餅という縁起のいい名前を付け、かごの中に火鉢を入れ、アツアツに焼いて売りました。
これが寒いお江戸で大ヒット! 大福の大ブームになったそうです。

註1.お江戸が今より寒かったのは間違いありません。
ましてや、着るものも粗末で、毛糸の靴下やブーツなんてものもありませんから、かなりきつかったと思います。

註2.今は技術がよくなって、大福の餅は柔らかさを長らく維持してますが、昔は時間がたつと固くなったものです。
硬くなった大福を、母親がよく網で焼いてくれたものですが、
お焦げがつくくらい焼くと、餅がパリパリになって、それはそれで、またうまいものでした…
(こんな話、同年代の人と飲み屋でやったら、盛り上がるだろうなぁ。)

ヒットの理由はもう一つあるそうです。
大福は、餅は炭水化物、餡の小豆に含まれるビタミンB1と相まって、即効性の高いカロリー源なんだそうです。
寒い江戸に、焼いた大福はぴったりのスイーツだった訳です。
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ふたたび「BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』から。

番組によると、江戸はスイーツ天国、しかも女性より男性の方が甘いもの好きだった、とのことです。

肉体労働者が圧倒的に多かったので、仕事の合間に歩きながらでも栄養補給する必要があったからではないか、という理由です。

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8代将軍の吉宗は、サトウキビの栽培を奨励したんだそうです。
それまでは外国からの輸入に頼っていたのですが、このことによって国産砂糖の生産量が増加、砂糖が入手しやすくしなったこととも関係しています。

餅菓子は神様が宿る特別な食べ物として、古くから食べられていたんだそうですが、
江戸時代になると年中行事などにも餅菓子を作って祝うことが一般的になったそうです。

それに合わせてさまざまな餅菓子が作られるようになり、名物菓子も増えました。

今でもよく食べるさくら餅は、そんな一つだそうです。
あるお寺が、落ち葉を再利用できないかと考え、塩漬けにした桜の葉で桜色のあんこ餅を包んだのが始まりということです。

さくら餅ですが、包んである葉っぱは取って、餅だけ食べる人がいるんですが、もったいない話です。
あれは葉っぱごと一緒に食べたほうがおいしいんです。
塩味の葉っぱが餡の甘さを引き立たせてくれるんで、それまで餅だけ食べていた知人に教えたら、おいしさに驚いて、以来、ずーっと葉っぱと一緒に食べてます。(これ、ホントの話。)

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BSTBSの『謎解き! 江戸のすすめ』によると、
平安時代、貴族たちの間で「松茸狩り」が行われていたそうです。
江戸時代になると、関西の庶民の間で「松茸狩り」が行われ、採ったその場で鍋に入れて香を楽しんでいたそうです。

なぜ関西かというと、
松茸はほかのキノコに比べて、生存競争に弱いかららしいのです。
つまり、ほかのキノコや菌類が育ちにくいような養分の少ない貧弱な土壌じゃないと、松茸は仲間を増やせない。

松茸は赤松の木の根元だけに育ちますが、上方には赤松が多く、松茸が育つ環境が整っていたんだそうです。

なぜ西日本に赤松が多いのか。

西日本は水田が発達していて、昔はその肥料に山から落ち葉を取ってきて使ったんだそうです。
落ち葉を持って行かれると、山は栄養が足りなくなって痩せてきます。
痩せてくると、赤松くらいしか育たなくなる。
したがって赤松が増え、その結果松茸がよく採れるようになる、とまあ、三段論法的にこうなるわけです。
(ん? これでいいのかな? 使いなれない言葉を使って、恥かいてんのかもしんない。)

お江戸の近くは手つかずの雑木林が多くて、赤松が繁殖しにくかったわけで、
それでも全くないことはなかったんですが、江戸まで運こぶのに数か月かかり、届いたころにはもう香りがほとんど飛んじゃっていた。

松茸の特徴が、半減していたわけで、松茸本来の魅力が味わえなかった、
だから、まつたけなんぞより、シメジの方がよっぽどうめぇ、ということになったんですね。

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